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雑魚の云々

.15

映画

ももへの手紙

全国公開に先駆けて、広島 愛媛 先行ロードショーの『ももへの手紙』を観てきた!

舞台は瀬戸内海に浮かぶ『汐島』という設定だ。モデルは大崎上島の豊町になっているようだ。

あの辺りはわたしも行ったことがあるが、いくつもの島が隣り合っていて、橋でつながっているところもあれば、そうでないところもたくさんある。『御手洗地区』というところの街並みもこのアニメでは重要な背景になっている。

物語はももという小学校6年生の少女が父を事故で亡くし、母親に連れられて故郷である『汐島』に帰ってくることから始まる。

母の郷は古い大きな家で、母屋と離れた棟に母とふたりで暮らすことになった。その屋根裏の物置にあった塗りの文庫に興味を惹かれたもも・・・さて、そのなかにあったものとは!

アニメであるからこそおもしろく広がっていくはなし。しかし最後はせつなくもあり、すこしずつ成長していくももを応援したくなる内容だ。

そして背景となる島々の風景が素晴らしい!!!

場内は親子連れの方たちもたくさん見受けられた。

場内が明るくなったとき、うしろの席の女の子、となりに座っているお父さんに聞いている!

少女「おとうさん泣いた?」

父 「・・・・・」

少女「おとうさん泣いた?」

父 「・・・・・」

そのあとも尚しつこく聞く彼女(イジワルカ!)

(泣いたに決まってるだろう!カッコ悪いから応えられないんだよう・・・苦笑)


会場を出るとき、たまたま後ろから聞こえた親子の会話・・・

少年「お父さんは海洋学者だったのかなぁ?」

父 「そうだね、海洋学者みたいだね」

少年「おとうさんは、県庁だから死ぬような仕事ではないよね!」

父 「おとうさんの仕事で死ぬようなことはナイよ~」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

フムフム、親子でいろんな感想が飛び交っている。さすがに県知事推奨だけある!

ぜひとも劇場でご家族そろってご鑑賞ください!ってわたしもマワシものか。。

ももへの手紙
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.11

映画

麒麟の翼

ようやく『麒麟の翼』を観てきた。

ようやくと言うのは小さいけど大きな訳がある。(そこ、mixi参加されてる方はご存じのはず・・)ま、そんなことは置いといて。。

麒麟の翼

原作は『東野圭吾』!

このところ『東野圭吾』三昧のわたしは、期待半分、躊躇半分。。

映画で観るよりも、小説を読んだほうが面白いのではないか?という迷いがある。。

でもまぁ、画面の加賀刑事のお手並みを拝見しようと思って観に行った!

いつもながら東野さん原作のストーリーは、ジグソーパズルを四つ角から埋めていくような内容だ。

四方から埋めていって、一つの画像が浮かぶ。またそれにつながってひとつの画像が浮かぶ。。

そうしてパズルのピースをひとつひとつ嵌めていくと、その全容が浮かび上がってくる。

面白いというよりは、いったい作家の最初の1ピースはどこから始まったのか?というような疑問に陥ってしまう。

常にこんなミステリーを考えていたら、けっこう自分の身を削っているのではないか・・と心配してしまった。

同じく、東野さんと同年代で、毎日ブログ更新という作家のくろわっさん

え~と、キリンとは関係ないんだけどきのうは『ぼくちゅう』のくろわっさんの53歳のお誕生日でした!!オメデトウゴザイマス!!

.28

映画

ALWAYS 三丁目の夕日64

今回の『三丁目の夕日』は初回から数えて何年目なのだろう?

映画のなかのセリフで「5年まえ・・・」とかのセリフが出てくるからそれくらい経ったのだろうか・・。初回のときは、まだ東京タワーが建設中のころが舞台だった。今回は東京オリンピックのころのはなしだ。

それにしても初回にはまだ小学校4年生くらいだった須賀健太くんが、立派に高校生になっている。それだけ時間が経過したということだ。

思えば、わたしも東京オリンピックのころはまだ小学生だったわけで、『東洋の魔女』といわれた女子バレーの試合はTVの前で観た記憶がある。

あの時代といえば日本中のみんながみな同じ番組を観ていた。つまり娯楽にしても今ほど選択肢はなかったわけだが、子どもからお年寄りまでみんなが同じ情報を共有していた。一つの話題で家族みんなが話し合えた。

考えてみれば、今の時代もお正月など家族が集まってはいるが、みなそれぞれに観たい番組を見て、それぞれに自分の好きなことをして過ごす。これでは家族団欒とは言えない気がする。

日本の高度成長期、昭和30年代40年代、たしかにあの頃は希望と期待があふれた時代だった。

だけど~、たった5年で子どもが大きくなるように、50代60代になればたった5年でひとは老ける。。それを感じたのもこの映画だった。

あ~、5年の歳月は大きいものだ。。

ALWAYS三丁目の夕日64

.06

映画

山本五十六

今年の映画初めは、『山本五十六』を観てきた。

バルト11はしばらく行かないうちに、タッチパネルでチケットを買うようなカタチになっていた。最近はなんでもタッチパネルだ。人件費削減の一環だろうが、抵抗感なく買える若い世代はいいけど、高齢者の方はちょっととまどわれるかもしれない。

映画館も年明け5日ともなるとそれほど混んでいる様子もなく、時間ギリギリに行ったのだが、案外スンナリ入れた。

『山本五十六』という名前を知らないひとはいないだろう。いや、若い世代のひとのなかには彼の名前を知らないひとたちもいるかもしれないが、わたしたちの世代で知らない日本人はいない。

あの太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃に至るまでのいきさつや、当時の国策や新聞社の情報をあっさり受け入れナンの疑問も持たず踊らされた国民たちが浮き出されている。

この国の民たちは、のど元過ぎれば熱さを忘れてしまう・・・という良くも悪くもありの特徴があるのだろうか?
自分の眼で見て耳で聞いて、心で判断する。国の中枢と国民の一人一人がそれをしていたらば、あれほどの犠牲は出なかったのかもしれない。

自分の意志とは真反対の行動を取らざるを得なかった、海軍の将。軍には絶対服従の掟で仕方のないことであったが、最後まで興亜を信じて散って行ったひとであった。

撮影地は呉や江田島など見慣れた景色も出てくる。豪華出演者の方々も熱演されている。

ぜひ若いかたにも観ていただきたい映画だ。

山本五十六

.02

映画

映画 ひろしま

今月は仕事が休みの月、また一か月充電させていただきます・・。

きのうは、応援している『森本ケンタ』さんのデビュー6周年記念と彼が以前から支援している『似島学園』のチャリティーオークションが行われるファンクラブイベントがあった。

この『似島学園』というのは、昭和20年の8月6日、広島に原爆が落とされ多くの戦災孤児が残された時、似島という宇品の港からほど近い島にその孤児たちを収容する施設が作られたのが発端だ。

現在は戦災孤児はいないものの、育児放棄された子どもたちやあるいは親の暴力から逃れた子どもたちが暮らしている。ケンタくんは数年前からいろいろなカタチでその子どもたちの支援をしているわけだ。

そして、きょうはその原爆の惨状を描いた映画『ひろしま』を八丁座に観に行った。

ひろしま

この映画は1953年、8月に公開された映画である。

つまりわたしはまだ生まれていない。あの原爆からたった8年過ぎたばかりのころ作られた映画だ。

当時はまだ原爆の痕跡を大きく引きずりならも、なんとか生活を立て直そうと必死で頑張っていた市民があふれていたころだ。

原爆投下後、70年は草木も生えない・・と言われていた広島にも、どうにかまともな学校や市民の営みと歓楽街なども復興していたが、街には原爆の後遺症で家もなく負傷で仕事もできず、駅前や繁華街には物乞いの姿も珍しくなかった。

当然、原爆で親を失った子ども達もたくさんいた。収容所にも入れないこどもたちは、平和公園を訪れる観光客に原爆で焼けた石や熱で曲がった金属などを売っているものもいた。

この映画で伝えたいこと、それは人間が戦争という名目で人を殺していいのか?ということではないだろうか・・。

殺人はたとえ一人殺しても、刑務所に入れられる。戦争は数万人を殺しても、英雄になる。なんという理不尽なこと。。

ひろしまに落とされたたった一つの原子爆弾が、多くの人の命と人生を奪った。そしてたとえ命が残っても、原爆を受けた事実を隠しながら、またいつ現れるかもわからない原爆症の恐怖におびえながら、暮らしてきたひとびとがどれだけいたことか・・。。

この映画がいま注目されるのは、あの震災で問題になっている福島の原子力発電所の事故があるからだそうだ。

ひろしまに住んでいるわたしたちこそ、いまこの映画を観て真実を知り伝える必要があるのではないだろうか?

できれば、日本だけでなく世界じゅうのひとたちに観ていただきたい映画です・・。

プロフィール

じゃこ

  • Author:じゃこ
  • 日本の良さってなんだろう!
    山を歩く・・
    素材にこだわる・・
    侘び寂びのこころ・・
    そして、癒しを追っかけしています!







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