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雑魚の云々

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未分類

最後の休日

いよいよ今年最後の休日です。

やり残した掃除の残りをして買出しに行って・・

きのうの雨が予定外だったから、外の掃除がイマイチなんだけどね。。時間があったらそれもやろう!!

今年もいろいろありました。自分的には病院との関わりが増えてきたので、やはり生活習慣を見直すことも必要かな・・?(食べすぎ飲みすぎ注意!)

よく手紙などの最後に『ご自愛下さい』との一言を書くことがあるけど、それって大事なことなんだよね~。自分を気遣うことが出来なくて、人のことを気遣うことなんて出来ないからね・・

家族間の大きなニュースといったら、今年は長女の結婚があり親族が増えたこと・・来年はまた一人家族が増えること・・笑顔が増えることは楽しいことだ。

親世代は高齢者がたくさんいるから少しずつ欠けていくのは仕方がない。。でも両親に関しては高齢ながら二人とも健康でいてくれるので本当にありがたい。毎年元旦には家族で過ごすのがいつものお正月だ。どこへ行くということもなく、毎年家族で過ごしてきた。若い頃はせっかくのお正月にどこにも行かずもったいないな~なんて考えたこともあったけど、今となっては何年もそうしてきたことが唯一の親孝行だったのかな・・なんてね。

来年は元旦に初詣に行こう!そして長女の厄払いをして安産を祈願しよう!そして両親の待つ田舎に行き、厳寒の山里でコタツに入って恒例の『花札』をしよう!

とりあえずそのまえに、明日あさっては仕事仕事。。

一年間このブログにお付き合いくださった皆さまありがとうございました!

皆様、良いお年をお迎えくださいませ!!
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昔はよかった!

もちつき

あのころは一大イベントだった!

朝、もち米がせいろで蒸される香りとともに目覚めた・・

その日は大人たちは早朝から準備でおおわらわだった。でもわたしたち子どもはジャマをしないていどにワクワクしながら着替えて朝ごはんを食べ、大人たちの忙しい動きを見ていた。

『お餅つき』は近所の3軒くらいが集まって、一度に3軒ぶんつく。しかし当時の3軒ぶんというのは尋常ではない。家族が多いうえ、街の親戚に送ったりするのも一度に作るので、朝からカマドのせいろは三段四段に重ねてガンガン火をたく。

会場となる我が家は、玄関とだ屋の間の板戸をはずし、そこの土間に石臼を置く。玄関のイタ間から奥の座敷までの襖や板戸を全部はずし、そこに柿渋を塗って作った渋紙を敷きつめる。玄関の板間にも敷く。壮観20畳のお餅置き場完成!だ。

せいろで蒸したもち米を石臼に移す。全部で5升くらいはあったのだろうか・・?1升ずつにしても五回だ。それを若かった各家の三人の男たちが、それぞれに杵を持ち、二本の杵でこねる。

いい加減つぶされたら、いよいよ『餅つき』!三人でつくので、三拍子の餅つきだ!!

タンタンタン、タンタンタン、・・リズムよく繰り返されてあっという間にお餅がつき上がる。

それを女性が石臼から丸めてはがし素早く板場に置いた大きなまな板の上に乗せる。これは熱いのでたいへんだ。

最初は『鏡餅』をつくる。それが三軒ぶん・・。それからいよいよ丸餅作り始め!

餅粉を敷いた上で手際よく長く棒状に伸ばし、人差し指と親指で器用に一個づつに切り取っていく。切り離されたお餅は周りに並んだ母たちの手でどんどん丸められる。みんな両手で二個づつ丸めるからそのスピードといったら早いのなんの・・

ここからわたしの出番だ!その丸められたお餅を数個お盆に並べてもらい、奥の座敷に敷きつめられた渋紙のところまで持っていって、ポイッっと投げる。そこでも待ち構えていたお母さんが端からきれいに並べていく。

蒸す→つく→伸ばす→分ける→丸める→乗せる→ポイ→並べる・・・これを三軒分のお餅が出来上がるまで作りつづけるが、みんなでやるので効率よく楽しい・・!

まる餅が終わったら、草餅やら豆餅も平べったく横長に整えて、これは冷めて固まってから切る。子供用にあんこ餅も作る。

最後には『餅花』いわゆる『まゆだま』も作って正月飾りも出来上がる!!

この作業が約半日で終わりお昼は草もちで作ったあんこ餅を食べて、一大イベントは片付けに入る。

こうした餅つき大会もいつしか機械が登場し各家でできるようになり、集まってやることはなくなった。

お餅がごちそうだったころは、お正月に何個お餅を食べたかが自慢だった頃があった。大人の男たちは平均でも6個は食べていたと記憶している。もちろん今のようなカワイイ大きさではなかった。。

いやはやこうして考えると、年月の流れはイベントも食事の中身も大きく様変わりしたものだと思う。

.20

未分類

そろそろ大掃除・・?

みなさん始められましたか?大掃除・・

先週、今週、比較的にお休みが多いのに、なんか動いてないし。。

今日は窓ガラスだけでもやっておきたいけどね。

年賀状書きましたか・・?

わたし、まだ買ってもいないし。。

やる気ないのがマックスだよ・・。

手作りの年賀状とか作られるひとって尊敬に値するよ。

とりあえず買ってくるっていう作業だけでも、今日中にやっとこうかな・・。

なんだか仕事で走り回ってるんで、お休みはぐた~っとして過ごしたいけど、気持ちは反対にあせるよね。まあ、追い立てられるように仕向けられてるってとこもあるけど。。

こんな仕事をしているとお客様のクリスマスやお正月のお手伝いをして、すっかり自分もお正月の準備ができたような気になってます。もう、十分です。。ってカンジ。。

毎年思うけど、みなさん張り切って準備されるんですよね。早くから干支の置物やお正月用品を買われるのをお手伝いしながら、楽しみにされているのが伝わってくるのですが・・

ウチは大晦日も仕事。元旦に田舎へ行ってじいちゃん、ばあちゃんの顔を見て、駅伝三昧の花札三昧で毎年終わる。だからおせちも作らなくていいし、年越しソバと元旦のお雑煮とあとは御造りやら太巻きやらがあれば年は越せる。

お正月用品もほとんど何も買わないし・・。おもちと玄関のしめ縄飾りくらい・・。

なんだか夢のない年越しになってきたのはいつからなのかなぁ・・。たぶん、紅白歌合戦に興味がなくなって、スーパーやコンビニが元旦から開いていて・・って頃から楽しみが半減したのかもしれないよね。。

わ、グズグズしてたらもうこんな時間だ!!とりあえず今日は掃除に着手するかなぁ・・

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森本ケンタ応援してます!の部屋

ヒロシマ注目!!!

広島にお住まいのみなさま・・

明日、18日のTSSTV『満点ママ』で生ケンタの生ライブを放映されます!!!!!

・・ので、お時間がおありでございましたら、ごらんくださいませ。

朝10時からTSSTVの放送でございます。(デパ丁寧言葉。。)


あ、ワタシ?くやしいけど明日は早出でございます。。

明日はナニを唄うのかな・??『横顔』と『トナカイ・・』かな??

くっそ~!!ビデオ予約出来ないんだよね~。。リモコン壊れてるし。。

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森本ケンタ応援してます!の部屋

CAZLライブ5周年記念

ハイ!行ってきましたよ!

横川フレスタ”CAZL”の5周年記念ライブが西区民センターでありました~!

一部は山陽高校の和太鼓とか我らが真一君と麻美ちゃんの演奏もあり、なかなか見ごたえありました。

和太鼓の迫力はすごいですね~!音階のない打楽器であれだけの表現ができるのと、さすがに男の子たちの力強さに圧倒されました。かなり練習しないと息が合わないでしょうね!
スペインに行って演奏したと言っていたので、やはり場を踏むことで実力が付いてきたんでしょうね。素晴らしかったです!!

真一君と麻美ちゃんの演奏もよかったですね!演奏がいいのはもちろんですが、真ちゃんのトークがなかなかよかった。いつも心配しながら聞いてたけど、きょうはスムーズに言えていたので真ちゃんも一年でだいぶん慣れたんだなぁと安心しました。

そして一旦会場から出て休憩。。ちょっと腹ごしらえにCAZLのたこ焼きやさんに行ったら、ちょうどチームケンタの面々がいたので混ぜてもらいました。ネギマヨ食べて、イザ出陣!!

二部はお待ちかね、GiFTとわれらが森本ケンタのコラボライブ!

わたしが誘った人は職場がいっしょのMさん。Mさんは娘さんがGiFTのファンだとかで、今日は娘さんも会場に来ていたらしい。でもお母さんのほうがいい席でしたね!

GiFTのライブはいつも娘さんと観に行くらしいけど、昨年のカジルライブには来てなかったようでケンタくんは初めてです。

GiFTのライブが始まったら、ほとんど立ちっぱなし・・で盛り上がり最高!!『勝利ノウタ』のサビを覚えててよかったわ。。ハイ!HP見て予習しておきました。

フレスタのエライ方のご挨拶がすんで次はケンタくん登場!!

会場の右から左から「ケンちゃ~ん!」と声が掛かる。チョットチョット、そこ声掛けるところとチャイマンガナ・・。イントロが大事なんですよ。。第一ケンタファンは「ケンちゃ~ん!」とは言いませんから!!

とこんなチグハグしたところもこのコラボライブのいいとこでしょうか・・?

ノリノリの曲!しっとりした曲!ハードな曲!あと、新曲披露も・・今日もたくさん聴けました。やっぱしホールコンサートのもんやね~!!

最後はGiFTとケンタくんがいっしょになって歌う、『ダリア』と『勝利ノウタ』

会場が一体となってハジけたコンサート楽しかったです。12月生まれもお祝いしてもらったし、言うことナッシング!

一緒に行ったお友達も「楽しかった~!」と言ってかえっていきました。

GiFTのおふたり、ケンタくん、そしてメンバーとスタッフのみなさん、楽しい時間をありがとうございました!また、来年も期待していますよ!!

.12

昔はよかった!

クリスマスの思い出パートⅡ

それにしてもホントにプレゼントってもらってなかったのかなぁ・・と考えていたら。。

そうだ!と思い出したことがありましたよ!

わたしの曽祖父のじいちゃんはわたしが小学校一年のときに亡くなったのだけど、その兄弟にあたる人がその昔ハワイに移民していたのです。

で、わたしが小学生のころには毎年ハワイから小包が届いていました。小包の中にはお菓子やコーヒーやらがいっぱい入っていました。

それはクリスマスプレゼントの時期よりもかなり早めに届いていたので、わたしのクリスマスバージョン記憶にのこっていないのです。でもその包装紙のカラフルでカワイイことは鮮明に覚えています。

赤や緑や黄色にカワイイプリントの包装紙。日本でそんなものは見たことがないモノでした。大事に取っておきましたねぇ・・雑誌のふろくとおんなじくらい宝物でしたね☆

(エト、宝物の余談ですが、そのころのグリコキャラメルにはおまけが付いていて、女の子用のおまけも集めてましたねぇ・・)

で、小包の内容は、チョコレートもキッスチョコにマーブルチョコ、ピーナッツチョコにイタチョコとチョコレートだけでも数種類。あとはキャンディーにガムにクッキー・・

大人用にはミックスナッツ、コーヒーとミルクなどなど・・

それも大量に入っていたので十分お正月まで食べるほどのおやつがありました。だからウチの親はわざわざプレゼントなど買う必要もなかった。。そのかわりお礼に干ししいたけや干し柿やカキもちなどを送っていたようでしたが・・

とにかくわたしは毎日のようにチョコを食べ、ガムを噛み、子どものころから栄養満点でした。。

はてさて、このアメリカ流のおやつが今も災いしているとは思いたくないのですが。。

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昔はよかった!

クリスマスの思い出

わたしが子どものころもクリスマスはありました!

うっそー!って思ったそこのアナタ!なんとシツレイな!

古い記憶では6歳くらいのころ、朝目覚めたら枕元にお菓子の入ったくつしたが置いてあったこと・・もちろんその頃の田舎ではこんな気の利いたことはしてくれませんよ。たまたまその時期にあった法事に、大阪から帰省した叔父がプレゼントしてくれたものでした。だから、サンタじゃなくて正体バレバレ・・

そのころからは田舎でも「クリスマスにはケーキを食べるもんだ」というのが根付いてきました。当時はどこの家庭も大家族で、買ってなんかはいられません。なのでお母さんたちは婦人会の講習でケーキ作りを習って、みんな各家庭で手作りでした。

いま思えば、スポンジの台もふわふわには出来なくて、オーブンもなかったから万能鍋っていうフタの分厚い鍋で代用していました。クリームも当時はバタークリームで、バラの花とかは食紅で色を付けて卵の殻で花の形を作ったり・・でも出来上がるのが楽しみでいっしょに作っていましたね。

テレビが普及してからというもの、クリスマスの行事は一気に広がったと思います。サンタがプレゼントを子どもたちに配るってことを知ったのも、たぶんそのころだと思うけど、すでに遅かりし・・の年齢。ウチにサンタが来るなんてことは信じたことはなかったし、プレゼントをもらったこともナイし。

唯一覚えているのは、あのキラキラしたモールの付いたクリスマスツリーを飾りたくて仕方がなかった8歳ころのハナシ。

ウチの近くの商店ではツリーの飾りを売っているところもほとんどなかったけれど、子どもなりにアソコにはあるという情報を知っていました。どうしてもツリーを飾りたかったわたしは、母にねだって飾りを買いに行きました。

で、お店に行ったところ、もう小さいツリー用の飾りはすでに売り切れでした。残っているのは展示に使っているちょっと大きい用の飾り・・。それをはずして雪に見立てた脱脂綿まで箱に詰めてもらい、持って帰りました。金額は覚えてないけど、たぶん当時にしては高かったんじゃないかなぁ・・

そして今度は父にねだって山から木を切ってきてもらい・・。しかし120cmくらいの生木ってハンパなく重いもんだと思うけど、よく切ってきてくれたよ。。これも今思えばのハナシです。なんせ当時はクルマなんてものはウチにない時代のハナシですからね。

そして火鉢に挿したもみの木に、キラッキラの飾り付けをして悦に入ったわたしだったのです。

そうしてみると結構ワガママな子だったのかなぁ・・いまごろ気が付いても遅いか。。

.09

未分類

きょうは・・

綾小路きみまろ、落合博満監督、皇太子妃雅子さま、ダパンプのイッサ、そして我が職場のリーダー、隣の売り場の係長、と、わたし。

この人たちの共通項といえば、みなさん『お誕生日』でした。

朝から仕事場で顔を合わせて、お互いに「お誕生日おめでとうございます」とお祝いを言い合って今日の仕事が始まりました。同じフロアに三人なんてのも珍しいことでしょうね。

なんにしてもわたしが一番年長っていうのはチト気に入りませんがね。

また歳をひとつ重ねたわけで、こればっかりはみんな平等にやってきます。あ~ぁ、また歳をとったわ。。と思うよりも、ここまで平穏無事に生きてきたことに感謝しながら、これからも健康で生きていけるように願いましょう。

あたりまえですが人の一生は永遠ではありません。若くして事故や病気で亡くなる人もたくさんいらっしゃる。生きたいと願っても叶わない人がおられるなか、ここまで無事に生きてこれたことは感謝以外のなにものでもありませんね。

さあ明日からまた新しい歳を元気に歩いて行きましょう!

.07

未分類

性分

わたしは自分でも怠け者だと自認している。

これは小学校のときに先生に言われたので間違いない。。つまり「やればデキルのだが、やらない」というタイプ?努力、キライ。。

だから仕事でもひとの分を取ってまでしようとは思わないヤツだ。手伝ってあげるのも手伝ってもらうからやるのであって、ボランティア精神0

休日の過ごし方もやらなければいけないことはやるが、やろうかな・・と思うことはどんどん後回しになっていく。で、ぐうたらしているうちに、一日が過ぎる。

だけど上手くしたもので、とにかく動かなければ死んでしまうみたいな性分のひともいる。

同僚がきのう言った。

「わたし、疲れてるんかねぇ・・」

たしかにこのところミスというか、諸問題が続いているようだ。それを知っているだけに、返事に困った。

「今月連休とかないんですか?ちょっと休んだらいいのに・・」

「それがねー、お休みの日もお百姓があるのよ。。困った性分よねぇ・・じっとして動かんかったら、なんか悪いことをしてるみたいな気持ちになって、じっとしとられんのよ・・」

「へぇ?わたしは一日中、うちの中にいてもへーき!」

つまりわたしがウォーキングするのも、そうやって外に出なければまず足が退化していくことになるだろう。一日中パソコン見て、テレビ見て、目と足が悪くなりゴミ屋敷と化した家でばあさんになるのはわたしもイヤだ。

彼女はわたしより一つ下だけど、最近やつれてきた。細いのはうらやましいが、性分で休めないのはけっこうつらいんじゃないかなぁ・・。

.03

未分類

お元気で・・

わたしがいまの仕事に就いて右も左も分からない頃、上司だった社員さんが、先月末で退職した。

上司といっても歳はわたしの半分くらいだから、娘のような年齢だ。ただこの業界で働いたことがなかったわたしは、いろいろ勉強させてもらった。

彼女の明るい笑顔といつも一生懸命仕事に取り組む姿勢と、仕事柄特に丁寧な言葉遣いに感心していた。なにより誰に対してもやさしい言葉遣いや気遣いは、職場をなごやかにし、みんながお互いに気遣いできる雰囲気になるのだった。

ある日社員食堂でお昼時間がいっしょになった。わたしはケータイをいじくっていてたまたま待ち受け画面を見られてしまった。待ちうけ・・当然ケンタくんだ。で、彼女が言った。

「それ、誰ですか・・?」
「あ、森本ケンタくんよ!」
「え~?知らない。。ナニする人?」
「広島のシンガーソングライターよ!」
「ウフフ?それはまたコアな趣味で・・」

というとこから会話が始まった。
わたしはケンタのことを一生懸命説明していて、ふと気がついた。
(そうだ!この社員さんは朝の社内放送のMCを担当してるんだっけ・・)
で、聞いてみた。

「朝の放送でケンタのCD流してもらえます?」

すると彼女が二つ返事でOKしてくれた。

あれから「スマイル」「クローバー」二度に分けて流していただいた。4月からは彼女の職場が異動になって、あまり話す機会もなくなっても、たまに見かけたときにケンタ情報を伝えたりして、新CDの「横顔」「おはようの約束」も流してもらった。

彼女の放送担当する日にちとわたしが出勤する日にちとがなかなか上手く合わないので、私自身は聞けたり聞けなかったりだった。でも周りのみんなから感想を聞いていたので、ありがたかった。

その彼女がこのたび辞職して大阪の実家に帰ると言う。お世話になったお礼にケンタのサイン入りCDを記念にお渡ししようと思った。先日の福山ロッツのライブで名前入りのサインを書いてもらった。月末に届けたときはあいにく彼女には会えなかったので、渡してもらうように預けて帰った。

今日たまたま仕事中の夕方、彼女がエスカレーターで下りて来て話ができた。

いろいろお世話になったお礼を言い、お別れのご挨拶。彼女も名前入りのCDは感激したといって喜んでもらった。

「CDを聴いて広島のことをなつかしく思い出してね!」などと話していたら、だんだん目頭が熱くなった。お互いに「お元気で!」と握手しながら、「泣かないで・・」なんて言われてしまう。なんだか年と供に涙もろくなっていく気がする。

『袖すり合うも多少の縁』人生においてはそれくらいの縁でしかないのかもしれないが、こんな出会いと別れを繰り返しながらヒトは人生模様を紡いでゆくのかもしれない。

プロフィール

じゃこ

  • Author:じゃこ
  • 日本の良さってなんだろう!
    山を歩く・・
    素材にこだわる・・
    侘び寂びのこころ・・
    そして、癒しを追っかけしています!







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