
頂上の展望台からの眺め

阿賀の百日紅を見て、蒲刈島へ…
サルスベリは新聞で紹介されていたので見に行った。実家の隣にも大きな百日紅があるのだが、それよりも大きいのかどうか確かめに行った。
たしかに大きい!!このお宅が出来た1850年代にはもうこの木は存在していたそうである。幹の太さがその年月を物語っている。う~~~ん・・ということは、160年以上かぁ。。
そしてみると、うちの実家の隣の木も百年以上は経っているのだろう・・
え~と、我が家も百日紅があるが、いったい何歳なのかは不明。。たぶん40~私の歳くらいかなぁ?分からないから、同級生ということにしておこう(笑)
七国見山457m。呉市上蒲刈島
七国見という名前は、安芸、備後、伊予など七つの国が見えるところからその名前がついたそうだ。
上りは林の中を歩く木の階段を上って行く道。木陰なので暑くはない。静かな森を上って行くが、やっぱしクモの巣はうっとおしい。。ただし今回は2番手を歩くので、前回ほどの苦労はない。
整備された登山道なので、歩く気力さえあれば簡単に山頂に着く。出発から約1時間・・山頂到着!
一休みして、展望を楽しみながら、県民の浜方面へ下る。
下りの道も結構急だけど、展望はかなり開けて楽しい。しかし、反面暑い。。どっちがいいのかなぁ・・
わたしはそのまま下って、県民の浜へ・・。Pサマはウォーキングコースをクルマまで戻って、県民の浜へ。。
そのあと、大崎下島の『御手洗地区』の街並みを観光して帰ってきた。
今日もいい山登りができた!
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もう何年も手つかずで聞きもしないカセットテープを整理して捨てようと思い、片付け始めた。
昔のカラオケテープなどは全部処分・・。しかしいっぱいあるよね~。。だいたい20年前くらいのものが多い。捨てるのは惜しいものと分けながら、しかし聴いてみないと分からないものも中にはあるし。。
そのなかに、さだまさしさんの『十五周年漂流記』という2本組みのテープがあった。
なんでも昭和63年と64年をまたいだ年越しに行われたコンサートを収録したものだ。昭和64年はすなわち平成元年である。つまりは昭和と平成をまたいだコンサートであると言っても過言ではない。
内容を見ても聴いたことすら覚えていない曲ばかり。。なので聴いてみた。
さださんの歌詞はメッセージ性が強い。歌と言うより語りのような曲ばかりだ。だからただ聴くというよりも歌詞カードをじっくり目で追いながら聴くことにした。
このコンサートで歌われている曲にはいわゆるヒット曲というのはあまり入ってない。いや入っていると言えば全部入っている(笑)
私の履歴書(メドレー)・・・というのがあって、、、
きみのふるさと 案山子 精霊流し 雨やどり 天までとどけ 檸檬 北の国から 桃花源 オレゴンから愛 無縁坂 秋桜 道化師のソネット 追伸 関白宣言
これだけ入っている!もちろん部分的にだ。
それ以外に、18曲・・・う~ん。中身の濃い内容だ。ほとんど知らない曲ばかりっていうのも面白い。
コレ、買った時に全部きいたのだろうか?疑問・・?
さださんがこのとき15周年ということは今はあれからさらに20年・・作られた曲はいったいどれほどになるのだろうか・・。
そしてこの長いメッセージを綴った歌詞。
『風に立つライオン』なんて、まんまドラマになりそうな内容だもの。
全部聴くだけでもずいぶん時間がかかった。これは永久保存にしておこう。
でもまだ他にもアレコレいっぱいあるんだけど、コレ全部聴いてたら、また全然片付かないよね~。。どこで思いきるか、それが問題だ。。
風に立つライオンコチラで聴けます。
昔のカラオケテープなどは全部処分・・。しかしいっぱいあるよね~。。だいたい20年前くらいのものが多い。捨てるのは惜しいものと分けながら、しかし聴いてみないと分からないものも中にはあるし。。
そのなかに、さだまさしさんの『十五周年漂流記』という2本組みのテープがあった。
なんでも昭和63年と64年をまたいだ年越しに行われたコンサートを収録したものだ。昭和64年はすなわち平成元年である。つまりは昭和と平成をまたいだコンサートであると言っても過言ではない。
内容を見ても聴いたことすら覚えていない曲ばかり。。なので聴いてみた。
さださんの歌詞はメッセージ性が強い。歌と言うより語りのような曲ばかりだ。だからただ聴くというよりも歌詞カードをじっくり目で追いながら聴くことにした。
このコンサートで歌われている曲にはいわゆるヒット曲というのはあまり入ってない。いや入っていると言えば全部入っている(笑)
私の履歴書(メドレー)・・・というのがあって、、、
きみのふるさと 案山子 精霊流し 雨やどり 天までとどけ 檸檬 北の国から 桃花源 オレゴンから愛 無縁坂 秋桜 道化師のソネット 追伸 関白宣言
これだけ入っている!もちろん部分的にだ。
それ以外に、18曲・・・う~ん。中身の濃い内容だ。ほとんど知らない曲ばかりっていうのも面白い。
コレ、買った時に全部きいたのだろうか?疑問・・?
さださんがこのとき15周年ということは今はあれからさらに20年・・作られた曲はいったいどれほどになるのだろうか・・。
そしてこの長いメッセージを綴った歌詞。
『風に立つライオン』なんて、まんまドラマになりそうな内容だもの。
全部聴くだけでもずいぶん時間がかかった。これは永久保存にしておこう。
でもまだ他にもアレコレいっぱいあるんだけど、コレ全部聴いてたら、また全然片付かないよね~。。どこで思いきるか、それが問題だ。。
風に立つライオンコチラで聴けます。

山道に一輪だけ咲いていたキキョウ・・

走ろう会の恒例、似島のマラソンに着いて来た。山登りは、毎年「安芸小富士」だったので、今年は一人で「下高山」に登った!
暑さより、クモの巣との戦いになった。最近誰も通っていないのか、進むほどにクモの巣が次々現れる。棒きれを持って、グルグル廻しながらの行進。夏の一人旅は思わぬものに悩まされる。。
走ろう会は毎年『似島学園』の体育館をご厚意で貸していただいている。9時40分ごろ到着して、荷物を置き、まずはそこで例会の報告やら準備体操やらしてそれぞれにランニングしたり、山登りしたり、海水浴したり。そしてお昼にはまた体育館に戻って、みんなで昼食となる。
最初、大会報告をされたなかで、今年もすごい方がいた!
ウルトラといわれるマラソンでも超ウルトラ級だ。北海道の岬から岬まで往復、1,089.3Kmを2週間かけて走破したという女性(30代)!これはスゴイ!!!
ただし真黒になって帰ったら、ご両親やご家族から、「もう2度と行くな!」と言われたとか・・。
本人はリュックを背負って走るジャーニー系ランにかなりハマってしまったらしい。今度は海外の大会に申し込んだとか・・。
でもこういった大会は旅費もエントリーなど諸費用もけっこうかかるらしい。今回はだいたい30万とか言われていた。こんなひとこそ自衛隊に就職したら、趣味と実益を兼ねてできるのに・・と思ったのはわたしだけか。。
そんな報告を聴いて、会員でもないわたしはさっさと単独行動で山登り開始・・。203m高さはない山だけど、山頂からの眺めは安芸小富士にまけないぐらい好かった!!
ザンネンだったのは、毎年学園の生徒さんが加工された、海産物やら野菜やらを売りに来られて、買い求めて帰る。今年は「切り干しダイコンがあります☆」と説明を受けていたが、帰った時にはもう売り切れてしまって、なかった。。
スイカ割りのスイカはおいしかったですよ!!

今日はもう20日か・・。
というと、夏休みは残すとこあと10日あまり。。宿題が気になるころですね~・・
わたしが小学生のとき、毎年8月の初めころから母の実家に行き、お盆に母が迎えに来るまで2週間くらいそこでイトコたちと過ごしていた。
母の実家は距離にして10Kmくらい離れている。今でこそどこのウチにも車があるから、10Kmくらいはわけない距離だが、そのころはまだ公共交通機関しかないころだ。幼児の頃は母と一緒にバスや汽車を乗り継いで行った記憶がかすかにあるが、小学校低学年のころからは歩いて行ったものだ。
今はウォーキングのくせがついているので10Km歩こうと思えば歩ける。しかし子どもの足で10Kmはけっこうな距離である。でも毎年その道を歩いて行くのがイヤだと思ったことはない。
田舎道のちょうど中間地点に一休みできるお店があった。母は必ずそこに寄って飲み物やお菓子を買ってくれた。ビー玉のコロコロしたラムネは苦手なので、わたしは瓶のミルクセーキを飲んだ。クジのついたフーセンガムは「当たり」が出るのが楽しみだった。当時は「当たり」の数も多かったような気がする。
一休みしたらまたカラカラに乾いた土ぼこりの道を歩いた。しばらく進むと車道を離れて歩ける近道に入る。車が通らない道なので草も生えている。土ぼこりの道よりよほど涼しいし空気もきれいだ。峠を越えて歩く道だけど、そのあたりにも家がところどころにあって、よくこんなさみしいところに住んでるな~と思いながら歩いた。今思えば、うちの辺りといくらも違わないのだが・・(笑)
峠から少し下ったところに吊り橋があった。元々はそれこそ「かずら橋」のような怖い橋だったように思う。ただしわたしの記憶にあるのは新しく架けられた橋なのだ。吊り橋なので多少ゆれるから、怖くないと言えばうそになるが、しっかりしたワイヤーで繋がれた丈夫な橋である。だからそれほど恐怖感はない。いよいよそれを渡れば、母の実家のある地区に入る。地元の中学生などはそのつり橋の下あたりまで泳ぎにきて遊んでいた。
そこを渡って川沿いに緩やかな坂を上って行けば、祖父や祖母や賑やかなイトコたちの待つ母の郷に着くのだ。
そこでわたしだけ約2週間、イトコたちと毎日遊んで過ごした。本家には5人のイトコがいた。少し離れた分家にも5人のイトコがいた。たぶん一人くらい増えたところで、叔父や叔母は気にすることもなかったのだと思う(笑)年上のイトコたちはそれぞれに家の手伝いも決まっていて、午前中は主に手伝いをし、午後からは泳ぎに行ったりして遊んだ。わたしは宿題を持って行ってはいたが、まずすることはなかった。
そこも農家だから夏の間、男は草刈りやら山仕事やら、外の仕事が忙しい。女は畑仕事と冬に使う布団の仕立てなども自分たちでやっていた。開け放した続きの8畳間に、洗濯して固く糊付けした表生地を裏返して敷き、その上に打ち直しした綿をのせる。綿をまんべんなく厚みが変わらないように載せ、4つ角を生地と綿を固定するように布団針と太目の木綿糸で留める。それが出来たら、四方から中心に向けてくるくると丸めて寄せる。これがけっこう大ゴトなのだ。丸めて抑えておかないと、ふかふかの綿はすぐに戻ってしまう。わたしは丸めたところが戻らないように、抑えて手伝った。
全部が丸まったら、表生地の中央の開いている口に綿を通すようにしてひっくり返す。。祖母が「赤ちゃんが生まれるよ~!」と言いながらひっくり返すと鮮やかな模様の布団が現れる!糸で留めた四つ角を引っ張り出して、布団らしくなる。中央の口を縫って収め、綿と生地がずれないようにところどころを糸で固定して留める。これで一丁出来上がり!!綿ぼこりはするし、汗はかくし、手間暇かかって家族が多いとたいへんだぁ。。
そういえば、畳を上げての大掃除も夏の行事だった。庭にムシロを敷いて、畳を一枚づつ担ぎ出し、2枚を立てかけて並べ、しばらく風を通す。その間、板間になった部屋はきれいに拭き掃除して子供たちが走り回る。。干してある畳のトンネルをくぐりたかったけど、それはさすがに許されなかった。。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今はどこの家にも布団はじゃまになるほどあるし、自宅で仕立てなんかするひともない。困るのは処分に困るくらいのことだ。
大掃除などせいぜい窓と網戸と換気扇くらいのもんだが、それさえも手抜き。。
時代が変われば、人も習慣も変わる。どっちがいいと言われても困るけど懐かしい思い出である。
不思議なことだが、渡ったことも覚えていない『かずらの吊り橋』がよく夢に出てきていた。最近こそみなくなったけれど、かなり大人になってからもだ。。幼心に恐怖として残ったのか・・?それとも見たことも渡ったこともないのに過去の記憶、デジャブ・・?
ま、大人になってからよかった!と思えることのひとつに、夏休みの宿題をギリギリになって片付けなくてよくなった、というのがあることは間違いない。。
というと、夏休みは残すとこあと10日あまり。。宿題が気になるころですね~・・
わたしが小学生のとき、毎年8月の初めころから母の実家に行き、お盆に母が迎えに来るまで2週間くらいそこでイトコたちと過ごしていた。
母の実家は距離にして10Kmくらい離れている。今でこそどこのウチにも車があるから、10Kmくらいはわけない距離だが、そのころはまだ公共交通機関しかないころだ。幼児の頃は母と一緒にバスや汽車を乗り継いで行った記憶がかすかにあるが、小学校低学年のころからは歩いて行ったものだ。
今はウォーキングのくせがついているので10Km歩こうと思えば歩ける。しかし子どもの足で10Kmはけっこうな距離である。でも毎年その道を歩いて行くのがイヤだと思ったことはない。
田舎道のちょうど中間地点に一休みできるお店があった。母は必ずそこに寄って飲み物やお菓子を買ってくれた。ビー玉のコロコロしたラムネは苦手なので、わたしは瓶のミルクセーキを飲んだ。クジのついたフーセンガムは「当たり」が出るのが楽しみだった。当時は「当たり」の数も多かったような気がする。
一休みしたらまたカラカラに乾いた土ぼこりの道を歩いた。しばらく進むと車道を離れて歩ける近道に入る。車が通らない道なので草も生えている。土ぼこりの道よりよほど涼しいし空気もきれいだ。峠を越えて歩く道だけど、そのあたりにも家がところどころにあって、よくこんなさみしいところに住んでるな~と思いながら歩いた。今思えば、うちの辺りといくらも違わないのだが・・(笑)
峠から少し下ったところに吊り橋があった。元々はそれこそ「かずら橋」のような怖い橋だったように思う。ただしわたしの記憶にあるのは新しく架けられた橋なのだ。吊り橋なので多少ゆれるから、怖くないと言えばうそになるが、しっかりしたワイヤーで繋がれた丈夫な橋である。だからそれほど恐怖感はない。いよいよそれを渡れば、母の実家のある地区に入る。地元の中学生などはそのつり橋の下あたりまで泳ぎにきて遊んでいた。
そこを渡って川沿いに緩やかな坂を上って行けば、祖父や祖母や賑やかなイトコたちの待つ母の郷に着くのだ。
そこでわたしだけ約2週間、イトコたちと毎日遊んで過ごした。本家には5人のイトコがいた。少し離れた分家にも5人のイトコがいた。たぶん一人くらい増えたところで、叔父や叔母は気にすることもなかったのだと思う(笑)年上のイトコたちはそれぞれに家の手伝いも決まっていて、午前中は主に手伝いをし、午後からは泳ぎに行ったりして遊んだ。わたしは宿題を持って行ってはいたが、まずすることはなかった。
そこも農家だから夏の間、男は草刈りやら山仕事やら、外の仕事が忙しい。女は畑仕事と冬に使う布団の仕立てなども自分たちでやっていた。開け放した続きの8畳間に、洗濯して固く糊付けした表生地を裏返して敷き、その上に打ち直しした綿をのせる。綿をまんべんなく厚みが変わらないように載せ、4つ角を生地と綿を固定するように布団針と太目の木綿糸で留める。それが出来たら、四方から中心に向けてくるくると丸めて寄せる。これがけっこう大ゴトなのだ。丸めて抑えておかないと、ふかふかの綿はすぐに戻ってしまう。わたしは丸めたところが戻らないように、抑えて手伝った。
全部が丸まったら、表生地の中央の開いている口に綿を通すようにしてひっくり返す。。祖母が「赤ちゃんが生まれるよ~!」と言いながらひっくり返すと鮮やかな模様の布団が現れる!糸で留めた四つ角を引っ張り出して、布団らしくなる。中央の口を縫って収め、綿と生地がずれないようにところどころを糸で固定して留める。これで一丁出来上がり!!綿ぼこりはするし、汗はかくし、手間暇かかって家族が多いとたいへんだぁ。。
そういえば、畳を上げての大掃除も夏の行事だった。庭にムシロを敷いて、畳を一枚づつ担ぎ出し、2枚を立てかけて並べ、しばらく風を通す。その間、板間になった部屋はきれいに拭き掃除して子供たちが走り回る。。干してある畳のトンネルをくぐりたかったけど、それはさすがに許されなかった。。
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今はどこの家にも布団はじゃまになるほどあるし、自宅で仕立てなんかするひともない。困るのは処分に困るくらいのことだ。
大掃除などせいぜい窓と網戸と換気扇くらいのもんだが、それさえも手抜き。。
時代が変われば、人も習慣も変わる。どっちがいいと言われても困るけど懐かしい思い出である。
不思議なことだが、渡ったことも覚えていない『かずらの吊り橋』がよく夢に出てきていた。最近こそみなくなったけれど、かなり大人になってからもだ。。幼心に恐怖として残ったのか・・?それとも見たことも渡ったこともないのに過去の記憶、デジャブ・・?
ま、大人になってからよかった!と思えることのひとつに、夏休みの宿題をギリギリになって片付けなくてよくなった、というのがあることは間違いない。。

大峯山に登ってます
八月に入って毎日遊び呆けた結果、1.5kgの体重増加・・。日課にしていたウォーキングも休んでばかりだから当たり前だ。。
なので今日は久しぶりの『真夏の登山』に行ってきた。
場所は佐伯町にある、広島市内で一番高いという『大峯山』1050mだ。
この山に登るのは確か4度目くらいかな?いずれも正規の登山道から登った。・・というのも、吉和へ抜ける道をたどれば、峠の上から登れる道もある。そこから行けばたぶん30分くらいで登れるはずだ。
しか~し、山登りというのは、ただ単に頂上へ登ればいい、というものでもない。頂上まで到達する過程が大事なのである。自分の力で登りつめたという満足感や達成感というのは、ラクして登ったあとには味わえない。当たり前だが、登山の醍醐味は自力で登るということが自分自身を鍛え、頂上に立ったときにやりきった喜びに包まれるのだ。
などとウンチクをたれるほどおおげさなことではないのだが、ま、今日もいつものように朝10時、我が家を出発した。オソッ。。
登山口は別荘地の中から始まる。「関係者以外は入れません。。」という閉ざされたフェンスを、勝手知ったるナントカで鎖をまたいで入って行く。
途中で早々と下りてくる登山客にあう。「霧でなんにも見えませんでした。。」という話を聞いていよいよ登山道へ・・天気は曇りだけど、真夏の晴天よりはこのほうがいい。
そこからは木の階段が延々続く直登だ。久しぶりの登山はなかなかキツイ。。
7合目を過ぎたあたりでまたご夫婦と思われる2人の方とすれ違う。
「そこの展望岩の横の木の所にヘビがいましたよ!」
「え?柄のあるヘビですか?」
「えぇ、たぶんマムシです」
「ぎょ!」
そんな会話を交わして、恐る恐る途中の展望岩へ・・幸いヘビはいなかった。
そこからはいくらか緩くなった坂を上りきれば、頂上の岩に着く。
頂上はちょうど霧が吹き飛ばされて、眺望が現れてくるところ・・やっぱしいい眺めだ。
Pサマは一番上の岩に登って、叫んでいる!「ヘビ!大きなヘビがおった!!」
見るとヘビの抜けがらが完全な形で残されていたらしい。体長1m20cmくらい・・の大物だ。
「サイフに入れとくとお金が貯まるよ・・持って帰る?」って。。悪いけど、いらんワ。。

蒜山高原にて…
13日の夜に大阪から帰った次女とPサマの三人で、14日よりお盆のお墓参り行脚。
14日は10時に家を出たけれど、さすがにお盆ということで道は混雑。。普通なら三次まで1時間で行くところを倍もかかってようやく到着。三次で墓参りやらご近所のあいさつ回りやら済ませて、やっぱし寄って行くのは『三次ワイナリー』・・(笑)
ちょうどイベントで『三次童人太鼓』というのが、中庭で行われていた。和太鼓の響きは独特のものがある。買い物中にも聞こえていたのだが、優先順位で、買い物、トイレ、もののけ展、それからピオーネソフトを手にしてようやく、太鼓のライブ!
しかし、その炎天下にものすごい熱演だった。身体全体で表現する、太鼓のリズム!!若さみなぎるその演奏に、しばし座って鑑賞させていただく。汗だくなんてところは通り過ぎ、もう絞り出す汗もないくらいの熱演!見守る仲間たちも炎天下の下、みじりろぎもせずエールを送る。まさに体育会系!!!
和太鼓って、日本人の魂に響くよね~・・
そこからはいつものように東城の実家へ。夜は涼し~って思ってたら今朝は、寒かった。。
今日の夕方には、次女は大阪で予定があるというので、近隣の駅まで送って行くついでに、岡山の『蒜山高原』まで行ってみるか~・・ってことで10時出発!
道後山下を通って大山方面へ・・
蒜山高原は初めて行ったのだが、たくさんの人出でにぎわっていた。やはり高速1000円効果は安近短でおおいに役に立っているようだ。
ここでもまずは食事、買い物。。牧場に行って散歩。ちょうど雨も上がっていい観光ができた。
ドライブして高原の雰囲気を堪能し、米子自動車道で岡山まで次女を送って行く。本来なら新見の駅まで送って行くところをここでも1000円効果だ。
午後2時、蒜山出発。途中混んでいるところもあり、約1時間半で岡山駅・・・次女と別れて一路広島へ・・ところどころ渋滞ありだったが、午後6時に無事帰宅した。
きのうから走った距離・・・昨日120km、今日380Km、合計500km
Pサマお疲れさまでした。。

プールで泳いで疲れた。ばーばに買ってもらったキリンさん、めちゃ気に入ってるよ~!名前?それはヤッパ…でしょ〓

レンタロ、横浜で凧揚げしてまっす!
ばーばはどっちかなぁ…

6日、島根の子供美術館で・・貸切状態で遊べたよ!

8日、三原のやっさ祭りで買ってもらった光る剣!大きすぎて持って帰れないし、送るダンボールにも入らない。。電池抜いて、次に来るときまで広島に置いておくよ・・。
怒涛の9日間…
きょう12時44分発の新幹線で横浜に発った。ヤレヤレだぁ(笑)
以下、レンタロ(1歳半)来広備忘録なので読まなくていいですよ。
8月2日(日)
午後0時55分広島空港着JAL・・・日曜日だがあいにくジージは予てから約束していた三次の祭りを兼ねて、幼馴染と会うために朝から三次へ・・
なので、わたしだけリムジンバスで空港までお迎えに行く。
定刻に無事到着!ママにだっこされてきたけど、もうひとりで歩けるよ・・。「バーバ!」とよくおしゃべりできる。でも、手をつなごうとすると、拒否。。いきなりは慣れないね~・・
バスで広島駅まで帰り、駅ビルの「徳兵衛」でまずはお好み焼きを食べる!でも卵は相変わらず抜き。。
8月3日(月)
ジージはお仕事。三女のオバチャンが2日連休ということなので、オバチャンの運転で東城に行く。途中三次でお墓参りして、ワイナリーでピオーネソフトを食べた。運転しないママとわたしはもちろん、ワインの試飲も!!
午後1時すぎ、東城到着。ヒージーチャン、ヒーバーチャン、喜んでくれた。分家のタカくんが遊びに来てくれた。タカくんのほうがちょっとだけお兄ちゃんだ。ふたりで水遊びしたよ!
8月4日(火)
田舎は涼しいからよく眠れた。朝からテレビ見たりしたけど退屈なのでグズグズと機嫌が悪い。お昼ごはんのあと眠らせるためバギーで散歩。田んぼの中の道を歩いていたら、すぐ眠りに着いた。
3時、こんどはこちらからタカくんちに遊びに行き、約1時間遊ぶ。午後4時、帰りはわたしが運転して帰る。
8月5日(水)
ママ友の2人と子どもたちみんなで、大芝の交通ランドに行って遊ぶというので、いない間に掃除やら洗濯やら片付ける。でも午後2時には電話がきて、ソレイユで下してもらったから、来る?って・・。それって、迎えに来いってことじゃん。。
で、ソレイユに行ったら、ママはあれこれレンタロのものを買いまくり。。どうやらジーチャンバーチャンにお小遣いをもらったらしい。わたしはクツだけ買ってやった。
8月6日(木)
ジージは有休を取って仕事を休み、みんなで浜田のアクアスに行く。もちろんカーナビなんてないのに地図も持たずに行って出たとこ勝負だ。浜田に着いたらなんのことはなしにまず「こども美術館」てとこに着いた。特別観たいものもないので、グッズ売り場で気にいっているキリンのおもちゃを買ってやり、あとは2階の遊びスペースへ・・こどもが数人とその保護者が数人いるだけ・・。広いスペースをほとんど貸切状態で遊んだ。夏休みなのに、こんなことでいいのかな?こども美術館・・
ゆっくりもしてられないのでメインのアクアスへ!でもどーゆーわけか、バイパスに乗り損ね、下の県道を走ってようやく着いた。
アクアスはやはりけっこう人気だ!子どもたちも大喜びの施設だ。あいにく人気者のシロイルカが出産休暇中だったが、大きな水槽で泳ぐ魚たちや空を飛ぶように泳ぐペンギンに癒された。レンタロも大喜びだ。ただし、館内で食べたホットドッグは380円もしたわりにレンジでチンなので美味しくはなかった。そのあと遊園地で遊んで、口直しに麺類食べた。
せっかく島根に来たからには「お魚センター」で買い物して帰らねば・・ノドグロやら水イカ、甘エビ、クルマエビの入ったお好みセットを買って、他にも数点買い物をして帰る。午後6時過ぎには帰宅。
8月7日(金)
ほんとうは飛行機で帰る予定にしていた日。まだ予定が目白押しなので急きょキャンセル。10日に帰ることにしたので、午前中わたしは新幹線の予約を取りに広島駅へ・・。ママはレンタロ連れて近所の耳鼻科へ・・。横浜にいる間から中耳炎の薬を飲んでいたのだけど、治っているのなら呑まなくてもいいので確認のために・・。完治していた。クスリ呑むのを嫌がっていたからよかったね!
暑いので、府中のみくまり峡に行って水遊びする。下の方では家族連れが大勢遊んでいた。わたしたちはキャンプ場のあたりまで行って、人の少ない所で遊ぶ。レンタロは最初服を着ていたが、そのうちビチャビチャになって裸んぼで遊ぶ。
帰ったら疲れたのかすぐ寝た。
8月8日(土)
ひろしま美術館で「絵本の時間」という五味太郎の作品展をやっているそうだ。なのでバスで出かけた。ものすごく暑い日でレンタロの機嫌はイマイチ。そのあとはデパートの子供用品売り場で飽きるまで遊ぶ・・でも、ナンも買わない。ちなみにそのデパでわたし、働いてるんだけど。。お腹がすいて激辛広島冷麺食べる。そこのお兄さんと仲良くなったよ~!
夜は三原のやっさ祭りに行くことに。ジージのお義姉さんが、夜の食事を予約して待っているそうで、ジージは仕事が終るや否やソッコーで帰ってきた。そしてわたしたちも大急ぎで、クルマで三原へ・・
着いたらさすがに「やっさ」はすごい人出だ。駅前のお寿司屋さんに予約を取ってあるというので、クルマを置いて歩くけど、それは人の波を縫って歩くわけでなかなかたいへんだった。その間も大通りでは色とりどりのハッピ姿のひとたちが「やっさ、やっさ」の掛け声で踊りながら過ぎていく。初めて来たのだが、思ったより大盛況だ。
夕ご飯をごちそうになり、近くのスナックスタンドへ・・ママとレンタロはその間、お祭り見学。久しぶりにカラオケ楽しんで、そろそろわたしたちは帰ることにする。ジージはクルマを持って帰らなきゃいけないから、泊まり。。わたしたちは新幹線で約30分で広島へ・・でもあいにく最終バスが出たとこでタクシーで帰った。
8月9日(日)
雨だ。家の中は退屈。。何をしても、ダメって言われるし・・。ジージもいるからやっぱしベビザラスに行って遊ぶ・・?
ハイ、遊びまくりました。。ベビザラスだけでは飽き足らず、遊びのハシゴして!
ジャスコで買い物して帰り、またお出かけ・・。
6時からはケンタくんのライブへ・・県立美術館までジージに送ってもらいレンタロとママと三人で・・。しかしこのガンボ怪獣のレンタゴンがイイ子でいるかどうかが心配・・。「大丈夫よ、ライブは好きだから・・」ママの言葉を信用して、それでも出口に近いところの席に着く。
始まってしばらくは、物珍しさでイイ子にして聴いていたが、そのうち自分も参加したくて仕方ない。どうやらパパが連れていくライブ会場ではドラム担当がいないと自分の出番だと思っているらしい。。
レンタロ・・・十年早いよ。。
お菓子で黙らせながら、なんとか終わった。。まわりのファンの方や、スタッフのみなさん、ご迷惑をおかけしました~・・。最後にケンタ兄ちゃんにバイバイしてきた。
8月10日(月)
お昼すぎの新幹線に乗せた。しかし4時間も大丈夫だろうか・・?こんなガンボくんを連れてはママも大変だ。
只今16時44分・・たぶん新横浜に着いたくらいかな?あ====、つかれた。。仕事してたほうがよっぽど楽だ。。

きれい!!

お魚、おっきぃね~!
みんなでアクアスに行きました!
レンタロは大喜び!大きなエイやカメやサメなどが近ずいてくると、「コワイ~・・」と言いながらも目はくぎづけ~・・!

ママ友とお出かけ~!ミナミちゃん、早く来ないかなぁ・・

今日はチョイワルファッションで、ゴーカートに乗るんだよ~!ブイブイ言わせて、ミナミちゃんにカックイーとこ見せるんだい!
2日に飛行機でブ~ンと飛んできたカイジュウレンタロ!!ますますパワー全快で動き回っている。
3日はママとバァバとチィオバチャンの運転の4人で、東城のジィチャンバァチャンのところへ~・・
触っちゃいけないものを触りまくり、散らかしまくり。。しかもバァチャンとこには、畑から採り立てのトウモロコシがあるから、食べ放題だし・・
午後からは久しぶりに会うタカくんも遊びに来て、ふたりで競争してトウモロコシ食べて~・・
それでも疲れもみせず、外で水遊び・・
眠くても興奮してるので寝付かれず、バギーでバァバと散歩してようやくダウン。。
4日はなぜだか大人は疲れてるし、レンタロはたいくつだぁ・・午後から今度はタカくんちに強引に遊び出張し、出発時間ギリまで遊んで・・
帰りはバァバの運転で2時間チョイで広島到着!ジィジがお待ちかね・・ジィジとお風呂に入ってメッチャ面白かった・・
そして今日は交通ランドに行って、ママ友と子どもたちみんなで遊ぶんだ!!!
でも広島に帰ってから、アレコレ食べ過ぎ~。。一んち中食べてるから、もうおなかパンパン!だけど、食べモノ見つけるのは得意技だから、やめられね~・・
しかし、なんにしてもレンタロの相手は疲れるわ。。

夕べの雨に濡れたタカノツメ…
よく降ったね~。。今日からの予報では、ようやく雨も一段落らしい。主婦はこれからお盆にかけて、野菜の値上がりが気になるところ・・。
タカノツメは一昨年植えて収穫したのが、まだ今年料理で活躍している。だから今植えているのは、乾燥させて来年、再来年と料理に使えるわけだ。
あまり成長がよくないけど、なんとか実が出来ているのでよかった!!
そうそう、ウチんちきょうはこれから豆台風がやってくる。お迎えに行かなくちゃならないのだ。
大人ばかりで暮らしていると、思わぬところに障害物あり・・?目線を低くして、ヤバそうなところは片付けたり、掃除をしたり、大変なのだ。。
「これから目線で・・!」って、ナンかのCMであったかなぁ~・・
さ、こうしちゃいられない、ピリっとスパイス効かせて動かなきゃ!