
宿泊したホテル、元紡績工場だったアイビースクエア

中庭のイチョウの木

備前焼の剣山?(茎止め)とカエルで作った水盤
毎年恒例になりつつある、仕事の同僚たちと旅行に行ってきた!
今回は近場でお隣、岡山県の倉敷。
行きは各駅停車の列車(笑)約2時間半の時間も、おばちゃん4人であ~たらこ~たらしゃべっていたらすぐ着く。新倉敷駅で「あとふた駅よ~・・」と確認しながらもしゃべっていて危うく乗り過ごすところだった・・。。
無事倉敷駅に到着!「おなかがすいたね~」と言いながら歩いて美観地区へ・・・
まずは腹ごしらえ・・。食事出来るお店もみんな古民家を移築したような風情ある店構え。最初に入ったところは予約客で混んでいるようだったので、お隣のお店に入る。和食の懐石ランチをそれぞれ注文して頂く。ランチといってもけっこうなボリュームで大満足!
お腹がいっぱいになったので、まず宿泊のホテルへ行きチェックインして荷物を置く。あの有名なレンガに蔦の絡まるアイビースクエアというホテルは倉敷紡績工場が前身である。かれこれ40年も前にホテルに変身したというが、当時はアンノン族というのがこぞって訪れたというイカニモな佇まいだ。
わたしたちの部屋は一番端っこの10畳くらいの和室と4.5畳くらいの応接間がついた部屋だった。内障子を開けるとイチョウ並木の中庭に面していて、ギンナンがいっぱい成っている。「ギンナン拾って帰ろうよ!」コレがおばちゃんだ(笑)
さていよいよ身軽になって美観地区そぞろ歩き・・・。
大きな柳の木が並んでいる川岸に、それぞれ趣のあるお店や建物が軒を連ねている。いかにも倉敷美観地区だ。
備前焼や雑貨のお店をひやかして行く。みんな仕事柄興味があるのがそういったお店なのだ。しかも常日頃自分が売っているのに、つい買ってしまうのが面白い。おばちゃんはみんな趣味が似ているのか・・?
自家焙煎のコーヒー専門店に入って、オリジナルコーヒーをいただく。洋酒の入った2層のコーヒーで750円なり。たまにはこんな贅沢もしてみたいおばちゃんたちだ。
そろそろ陽が沈んできたのでホテルに帰る。夕食は6時半の予定だ。ホテルのショップを冷やかしていたらすぐ夕食の時間になった。
夕食は洋食が2人、和食が2人の別コースで頼んであった。どちらもコースなので前菜から次々に運ばれてくる。わたしは和で頼んでいたのだが、たっぷり2時間かけてデザートまで頂いたので、これはもう2,3日は食べなくて済むかも~と思うくらいお腹がいっぱいになった。
部屋に帰って、それぞれ大浴場やら個室のお風呂やらで汗を流し、またまたおしゃべりに花が咲き、23時頃には布団に入ったが、まだおしゃべりは続き、ようやく軽いイビキが聞こえてきたのはとうに深夜1時も過ぎていた。でもわたしはあまり眠れないので、朝まで長い夜だった。
明けて翌朝6時半、ひとりが起きて部屋のお風呂に入ったので、わたしも起きて大浴場へ・・。だ~れもいなくて貸し切り状態だったのでゆっくり頭を洗って乾かして、身支度を整えて部屋へ帰ると、みんな「早~?!」ってビックリ(笑)
昨夜あれだけ食べたのに、イザ朝食バイキングへ!!!またそれぞれ好きなものをお皿に盛って、飲物や果物もタップリ食べるおばちゃんたち。しゃべっていて気が付けばもう9時も過ぎている。そろそろ出陣か~(笑)
フロントに荷物を預け、まずはあの気になる(木に成る)ギンナンへ!落ちているけど実が小さい。しかも臭いし。。「これを持って新幹線に乗ったら、臭いって言われるよ!」という結論で、拾う事は却下・・。
また美観地区へ繰り出し、いろんなお店をひやかしながら「大原美術館」へ・・・
この美術館もかなり古いらしく、展示作品も保存状態がいいとは言えない。有名な作品もたくさんあったが、イマイチ色があせて見えた。以前来た時観たという友人は、「カビ臭いから入らない。外で待ってるから~」と拒否した(笑)ただしほかにも「工芸・東洋館」や「分館」「児島虎次郎記念館」などもあるから、かなりの時間待たせることになった。
それから「備前焼」の窯元へ・・。
そこは「ギャラリーたけのこ村」というお店で、先日行った「みろくの里」でも作品が展示されていた知的障害者のかたたちと埴輪製作をされている藤岡さんという作家さんのお店だ。このギャラリーにはその「たけのこ村」から通っておられるそうだ。
店内には皇族の方たちと撮られた写真や感謝状の賞状なども飾られていて、気さくなその人柄がしのばれる。もちろんその備前焼の作品の持つこだわりは素晴らしい。
備前焼は1300℃の高熱で14日間かけて焼き締めた堅牢な器で、釉薬など使っていないので派手さはないが、土と炎と灰の自然の力が窯のなかで偶然性を巧みにとらえた特有の美を生む。なのでその一つずつの作品がみんな違うものなのだ。
花器などは横に倒して焼くからその表と裏の表情がまったく違うものに見える。花を生けるときは灰かぶりのざらっとした面を表に向け花の美しさを引き立てる。また器の表情を楽しむ時は焼く時に底にして出来た独特の色柄を表にする、というのも初めて聴いた。
そんな話を聞きながらまた違った眼で器を見ると、その器ひとつひとつが語りかけてくるような気がしてくる。
ただし、わたしが買えるようなものはあまりないので、今回は気に入った銘々皿を2枚と水盤に入れるカエルの置物を買わせていただいた。大事に使わせてもらおう。
そんなこんなで帰りは新倉敷駅まで行って、新幹線(但しこだま)で帰ってきた。広島に着いてそれぞれ帰宅を急いで「じゃぁ、またね~!」
これでまた仕事に精が出せるというもんだわ(笑)ちなみにこの度の旅行代金、交通費とホテル代(豪華食事が付いて)1人18,500円で安上がりだった。
たけのこ村
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今回は一つずつ開花するらしい?
楽しみは長く続いたほうがいいからね!

雲のなか何も見えない足元の紅葉の絨毯

絨毯に消えるPサマ(笑)

伊良谷山の山頂のマムシ草
雨の比婆山へ行った!
今月末が紅葉の見頃という比婆山!ってことは、今日はいい見頃か~?
広島から出発するときは、いい天気だった。しか~し。。。
比婆山に近づくにつれて天気は、悪天候に。。
いきなり池の段の駐車場から登山しようと思ったのが大間違い。。やはりこの時期に同じような考えの方はいっぱいいて、駐車場は大混雑。。しかも悪天候であきらめて帰ろうにも次々に登ってくるクルマとの離合にめっちゃ神経使うし。。
わたしたちは『県民の森』に変更してお天気の回復も期待したが・・・
県民の森に着いても小雨だった。車中でお昼ご飯を済ませて、小降りになった登山道を歩く!
今日は『毛無山』から『伊良谷山』を縦走するカンタンコース!
ず~っと雲の中で、な~~~~んにも見えなかったけど、足元にある錦絵の絨毯はしっかり踏みしめてきた。
もう何回か行った『県民の森の比婆山』やはりここは秋にははずせない山だナァ・・・・!

作品その1 パンダカラーのリングマフラー

作品その2 ドラムスティックで編んだネックウォーマー

作品その3 前のマフラーをほどいて作ったショール
最近編物にハマって、作った作品3点!
毛糸は全部ウチにあったものなので、材料代0円。
作品その1 パンダカラーの輪っかのマフラーは広げれば倍の巾になるからショールにもなるが、なんせ仏事模様(苦笑)なので、ショールで使うにはちょっと勇気がいる。若い人なら問題ないんだけどね~(笑)
娘たちが中高のころマフラーを編もうと挑戦したなごりの毛糸たちなので、やはり白とか黒とかが多く残っている。それを使って作ってみた。デザインは書店でちょこっと立ち読みで仕入れた(笑)
作品その2 ドラムスティックで編んだっていうのは、毛糸のボコボコが面白くて以前百均で買ったのだが、実際編んで見るとあまり面白くない。というか、編み針の大きいのを使っても編み目が固くなるので、指編みくらいにしかならないと思って放っておいたもの・・。
今回ドラムスティックを使ったらなんとか使えるものに完成!
作品その3 前に編んでたマフラーがあまり使ってなかった。マフラーにしては短かった(毛糸の量が足りなかった)ので、気に入ってなかった。
なので、それをほどいて新しく甦らせた。
これは編むよりほどくのが大変で、モシャモシャした毛が絡んでなかなかほどけない。おまけに編み目がよく分からないから、糸の端が見えない。。
ほどいてしまえば、案外簡単に編めた。
出来上がりにも満足!一番使えそうだ!
以上、針仕事作品展でした。

立たされボーズ。。

昔はどこにでもあった町かど
福山の『みろくの里』から鞆の浦へ
福山の街にはよく行くけど、鞆のあたりは一度も行ったことがない。
今年の3連休は遊び呆けよう!ってことで、三日目のきょうは福山の鞆の浦周辺へ・・・
Pサマはいつ行ったのかは知らないが、みろくの里へは行ったことがある、と言う・・。
わたしは一度も行ったことはない。なのでついでに寄ってみた。
駐車場はかなり広い・・・。わたしたちが着いたのは10:40頃、まだいっぱい空いていたので好きな所へ駐車。
それから入場券を買って、遊園地は行かないので「いつか来た道」へ・・・
なつかし~、昭和30年代の世界が広がって行く・・・
いちいち丁寧に見ていたら、時間がいくらあっても足りない。わたしはさっさと見て行くが、Pサマはかなりハマっておられるみたい。。
わたしのようにさっさと見てもかなり時間がかかるくらい、かなり大がかりなスケールだった。
2時間くらいかかってようやく次の行程へ・・・

鞆の浦で有名な保命酒という名の長命酒

鞆で一番景色のよい対潮楼(龍馬が直談判した場所)
鞆の浦
ここは現実に昭和30年代が残っているような場所だ。
初めて来たが、石畳の通りに並ぶ民家や商店は昭和の香りをどっぷり残した町並みである。
こういった場所はここに限らずあちこちにあるのだけど、なんだか懐かしいし落ち着く。
なんだろね~・・・
昔を懐かしむようになったってことは、やっぱ年を取ったってことなんだろうなぁ~・・

西条酒まつりにて
酒屋さんの前掛けで作ったリュック!どう?めっちゃかわいいじゃろ!
といってもウチの孫ではありません。
たまたま見かけた坊や!リュックはオーダー品とかで、写メお願いしました!
酒蔵の宣伝マンだね!!!
今回初めて行った『西条酒まつり』昨日と今日の二日間行われましたが、いいお天気に恵まれて大盛況だったようです。
わたしも全国の銘酒をいただき、すっかりきき酒の名手に~・・・いやいや迷酒とも言うかも。。
「酒ひろば」で全国から厳選された900銘柄を飲み比べ(せいぜい10種くらいがいいとこ・・・)そのあと酒蔵めぐりもして、帰るころにはすっかりいい気分になってしまいましたよ!
それにしてもすごい人出でした。帰りのJRは寿司詰め状態の酔っ払い軍団で帰ってきました~~~~

名前は大箒山…(1013m)
加計の温井ダムの近くにある山。そこを通る時、山の案内を何度か見た。先日しわいマラソンに出場したPサマ、その山の標識を見ていたので、きょうはそこに行きたいとか・・
クルマで林道を登って行くと、ガードレールに「入山口」と消えかけたペンキの跡。反対側の斜面にはピンクのテープがゆれている。あ、ここが登山口?
登山開始時間11:20
途中までは道がはっきりしていたが、だんだん笹が生い茂り、道が分からなくなっていく。。木に印のある赤いテープを頼りに歩いて行くが、山の斜面をトラバースしていくころには道など全然わからなくなってしまった。
Pサマが「道がなくなった」と言うので、もうあきらめてそこでやめようかと思い、とりあえずお昼になったのでその場所で食事!
めっちゃ急斜面に生えているブナの木に腰掛けて、不安定な格好で。。万が一お弁当を落としたら、もう採りに行くことは不可能な場所。。
ごはんを食べて視線を上げたら、赤いテープを巻きつけてある木をみつけた。ラッキー!
そこからはわたしが先にたって、とにかくテープの目印を頼りに、ヤブこぎ・・。
斜面を登って行くとどうやら明るい場所へ・・・な~んだ。アスファルトの林道に出た。。
そこからも道が続いているはずと思うけど、どこにも見つからず、林道をしばらく歩いていたら「大箒山登山口」の道標があった。
しかし相変わらずはっきりした道はない。。
道らしきところを笹をかき分けながら、テープを頼りに歩いて登って行った。
山頂に近いんだろうな?と思いながらも、ヤブこぎしていたら、「あった~!」
道なき道をやっと来た山頂!
ヤッター!?
しかし、展望も何も無し。
ソッコー下山。
林道に出たらひたすら林道歩きが約6km・・・
クルマに帰って14:00。今日はイマイチな登山だった。
帰りは『温井ダム』に寄って、見学。先日Pサマが走ったコースを教えてもらったり、駆け上った4百数十段の階段を上から見たり、井仁の棚田を見に行ったりして帰って来た。
しかし、88kmはクルマで走っても「しわい」。。

ナイキの帽子とPサマにフリース帽子冬のジョギングは頭がさぶいからネ

仕事の制服入れのバッグとつい可愛いので衝動買いしたニットバッグ
見て歩くのが好きなので、よく近所のリサイクルショップに行く。
リサイクルっていっても、新しいものもたくさんある。直接身に付けたりするものでない限りリユースもアリだけど、できれば未使用のものがいい。
いろいろ見て回って収穫のない日もあるけど、きょうはワゴンに無造作に積んである中から選び出してみた。
ベージュの帽子はちょっとサイズが小さめなので売れなかったのかもしれないが、アウトドアには必需品の帽子!
洗濯もできるしオリタタミもできるんで山に行くにはバッチリ!
そしてPサマ用フリースの帽子。リバーシブルになっていて裏は赤!カープの応援にもいいかも

(ま、今年はもう行くこともないだろうが。。)
そしてバッグは制服を入れて行くのにいいかなと思って買った。なんせ今はチューピーのエコバッグなので

最後に羊の毛を固めて作ったようなバッグはボタンの留め口がめちゃカワユイ!ヒモを木のボタンにくるっと巻いて閉じる。昔の書類入れみたいなものだ。
中に内布も着いていて、ちゃんと内ポケットもあるからケータイとかお財布とかも探さなくていい。
以上4点買って千円でオツリがきました!ハイ、ありがとさん!

花芽ふたつ・・・

頭にもひとつ・・・
我が家のノッポくん、今日見たら、花の蕾の芽を覗かせている。
ひとつ、ふたつ、と数えてみたら、、、
わっ!
たいへん、たいへん、6つも芽を付けている!
これは蕾が大きくなってから鉢を動かすのは、たいへんだぁ・・・!
ってことで、しずしずと玄関先へ移動した。
だけど、ノッポくんは並みじゃないノッポなので、なが~い葉先がアッチコッチに当たったり、こすったり。。。
ようやく玄関先の台に置いて、長ーい茎をポールにヒモで固定し、再度蕾の確認・・。
ひとつ、ふたつ、、、、アレ?5つしかないよ・・・?
葉っぱをめくって探してみるが、やっぱし5つしか確認できない(泣)
え~?!ひとつ取れちゃったか?
そんなバカな・・・!そんなはずはナイと何度も観たが、やっぱし5つ。。。(たぶん上の写真の左にちっちゃく写っているのがナイ)
ショ~ック!
でも5つでもいっか~・・・そんなに芽ぶくとは思わなかったもの!
たぶん、前回咲き終わった花をすぐ採ってサラダにして食べたのがよかったのかなぁ・・・(笑)
今回も5つの大輪の花を咲かせてくれ!!!
がんばれ、ノッポくん!!!
今月は仕事が休みの月、また一か月充電させていただきます・・。
きのうは、応援している『森本ケンタ』さんのデビュー6周年記念と彼が以前から支援している『似島学園』のチャリティーオークションが行われるファンクラブイベントがあった。
この『似島学園』というのは、昭和20年の8月6日、広島に原爆が落とされ多くの戦災孤児が残された時、似島という宇品の港からほど近い島にその孤児たちを収容する施設が作られたのが発端だ。
現在は戦災孤児はいないものの、育児放棄された子どもたちやあるいは親の暴力から逃れた子どもたちが暮らしている。ケンタくんは数年前からいろいろなカタチでその子どもたちの支援をしているわけだ。
そして、きょうはその原爆の惨状を描いた映画『ひろしま』を八丁座に観に行った。
ひろしま
この映画は1953年、8月に公開された映画である。
つまりわたしはまだ生まれていない。あの原爆からたった8年過ぎたばかりのころ作られた映画だ。
当時はまだ原爆の痕跡を大きく引きずりならも、なんとか生活を立て直そうと必死で頑張っていた市民があふれていたころだ。
原爆投下後、70年は草木も生えない・・と言われていた広島にも、どうにかまともな学校や市民の営みと歓楽街なども復興していたが、街には原爆の後遺症で家もなく負傷で仕事もできず、駅前や繁華街には物乞いの姿も珍しくなかった。
当然、原爆で親を失った子ども達もたくさんいた。収容所にも入れないこどもたちは、平和公園を訪れる観光客に原爆で焼けた石や熱で曲がった金属などを売っているものもいた。
この映画で伝えたいこと、それは人間が戦争という名目で人を殺していいのか?ということではないだろうか・・。
殺人はたとえ一人殺しても、刑務所に入れられる。戦争は数万人を殺しても、英雄になる。なんという理不尽なこと。。
ひろしまに落とされたたった一つの原子爆弾が、多くの人の命と人生を奪った。そしてたとえ命が残っても、原爆を受けた事実を隠しながら、またいつ現れるかもわからない原爆症の恐怖におびえながら、暮らしてきたひとびとがどれだけいたことか・・。。
この映画がいま注目されるのは、あの震災で問題になっている福島の原子力発電所の事故があるからだそうだ。
ひろしまに住んでいるわたしたちこそ、いまこの映画を観て真実を知り伝える必要があるのではないだろうか?
できれば、日本だけでなく世界じゅうのひとたちに観ていただきたい映画です・・。
きのうは、応援している『森本ケンタ』さんのデビュー6周年記念と彼が以前から支援している『似島学園』のチャリティーオークションが行われるファンクラブイベントがあった。
この『似島学園』というのは、昭和20年の8月6日、広島に原爆が落とされ多くの戦災孤児が残された時、似島という宇品の港からほど近い島にその孤児たちを収容する施設が作られたのが発端だ。
現在は戦災孤児はいないものの、育児放棄された子どもたちやあるいは親の暴力から逃れた子どもたちが暮らしている。ケンタくんは数年前からいろいろなカタチでその子どもたちの支援をしているわけだ。
そして、きょうはその原爆の惨状を描いた映画『ひろしま』を八丁座に観に行った。
ひろしま
この映画は1953年、8月に公開された映画である。
つまりわたしはまだ生まれていない。あの原爆からたった8年過ぎたばかりのころ作られた映画だ。
当時はまだ原爆の痕跡を大きく引きずりならも、なんとか生活を立て直そうと必死で頑張っていた市民があふれていたころだ。
原爆投下後、70年は草木も生えない・・と言われていた広島にも、どうにかまともな学校や市民の営みと歓楽街なども復興していたが、街には原爆の後遺症で家もなく負傷で仕事もできず、駅前や繁華街には物乞いの姿も珍しくなかった。
当然、原爆で親を失った子ども達もたくさんいた。収容所にも入れないこどもたちは、平和公園を訪れる観光客に原爆で焼けた石や熱で曲がった金属などを売っているものもいた。
この映画で伝えたいこと、それは人間が戦争という名目で人を殺していいのか?ということではないだろうか・・。
殺人はたとえ一人殺しても、刑務所に入れられる。戦争は数万人を殺しても、英雄になる。なんという理不尽なこと。。
ひろしまに落とされたたった一つの原子爆弾が、多くの人の命と人生を奪った。そしてたとえ命が残っても、原爆を受けた事実を隠しながら、またいつ現れるかもわからない原爆症の恐怖におびえながら、暮らしてきたひとびとがどれだけいたことか・・。。
この映画がいま注目されるのは、あの震災で問題になっている福島の原子力発電所の事故があるからだそうだ。
ひろしまに住んでいるわたしたちこそ、いまこの映画を観て真実を知り伝える必要があるのではないだろうか?
できれば、日本だけでなく世界じゅうのひとたちに観ていただきたい映画です・・。