今回の『三丁目の夕日』は初回から数えて何年目なのだろう?
映画のなかのセリフで「5年まえ・・・」とかのセリフが出てくるからそれくらい経ったのだろうか・・。初回のときは、まだ東京タワーが建設中のころが舞台だった。今回は東京オリンピックのころのはなしだ。
それにしても初回にはまだ小学校4年生くらいだった須賀健太くんが、立派に高校生になっている。それだけ時間が経過したということだ。
思えば、わたしも東京オリンピックのころはまだ小学生だったわけで、『東洋の魔女』といわれた女子バレーの試合はTVの前で観た記憶がある。
あの時代といえば日本中のみんながみな同じ番組を観ていた。つまり娯楽にしても今ほど選択肢はなかったわけだが、子どもからお年寄りまでみんなが同じ情報を共有していた。一つの話題で家族みんなが話し合えた。
考えてみれば、今の時代もお正月など家族が集まってはいるが、みなそれぞれに観たい番組を見て、それぞれに自分の好きなことをして過ごす。これでは家族団欒とは言えない気がする。
日本の高度成長期、昭和30年代40年代、たしかにあの頃は希望と期待があふれた時代だった。
だけど~、たった5年で子どもが大きくなるように、50代60代になればたった5年でひとは老ける。。それを感じたのもこの映画だった。
あ~、5年の歳月は大きいものだ。。
ALWAYS三丁目の夕日64
映画のなかのセリフで「5年まえ・・・」とかのセリフが出てくるからそれくらい経ったのだろうか・・。初回のときは、まだ東京タワーが建設中のころが舞台だった。今回は東京オリンピックのころのはなしだ。
それにしても初回にはまだ小学校4年生くらいだった須賀健太くんが、立派に高校生になっている。それだけ時間が経過したということだ。
思えば、わたしも東京オリンピックのころはまだ小学生だったわけで、『東洋の魔女』といわれた女子バレーの試合はTVの前で観た記憶がある。
あの時代といえば日本中のみんながみな同じ番組を観ていた。つまり娯楽にしても今ほど選択肢はなかったわけだが、子どもからお年寄りまでみんなが同じ情報を共有していた。一つの話題で家族みんなが話し合えた。
考えてみれば、今の時代もお正月など家族が集まってはいるが、みなそれぞれに観たい番組を見て、それぞれに自分の好きなことをして過ごす。これでは家族団欒とは言えない気がする。
日本の高度成長期、昭和30年代40年代、たしかにあの頃は希望と期待があふれた時代だった。
だけど~、たった5年で子どもが大きくなるように、50代60代になればたった5年でひとは老ける。。それを感じたのもこの映画だった。
あ~、5年の歳月は大きいものだ。。
ALWAYS三丁目の夕日64
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一昨年頃だったか、『沈まぬ太陽』という小説を読んだ。
この小説を読むきっかけになったのは、たしか映画を観たのが発端となったのだが、忘れもしないあの日航機墜落事故というのが描かれていて、しかもあの日航が没落に至るまでのことが克明に描かれていた。
山崎豊子さんの名前はずいぶん前から知ってはいた。古くは、TVドラマであった田宮二郎主演の『白い巨塔』などは有名だけど、そのころはそれほど興味もなく続けて観ることはなかった。
もう十数年も前になるのだろうか、NHKドラマで『大地の子』を放映していた。そのころもわたしは観ていなかったのだが、周りで観ていたひとはその悲惨な運命に同情し、続きの放映を楽しみにしていたのを知っている。
『沈まぬ太陽』を全巻読んで、山崎豊子さんのその取材した行程やらたくさんの資料の量に驚愕した。それだけの取材はなかなか出来ることではない。
それから昨年の秋に『大地の子』を読むことにした。終戦後満州にとり残された日本人孤児の物語である。主人公の言葉に尽くせないほどの過酷な運命を読むほどに引き込まれ、イッキに4巻を読みつくした。
山崎さんの小説の主人公たちが特に不幸な運命を背負っているということでは決してない。あの戦時中当時はこんな主人公のようなハナシはいっぱいあったのだと思う。何万人、何十万人のハナシを聴けば、その数だけの小説が存在するはずだ。
そして今日のような一日雨の日はかっこうの読書の日だ。
朝からコタツにこもっていても外は雨なので罪悪感はない。読書三昧・・・。
読んでいるのは『不毛地帯』だ。シベリアに11年もの長きに抑留されたかつての軍人が、ようやく日本に帰り、商社に就職してまた戦いの中に身を投じるはなしの第1巻。
とにかく山崎豊子さんの小説に感心するのは、どの小説も事実に基づいた内容であり、そのための取材に手を抜いていないことであり、真実の悲惨さが手に取るように伝わってくることだ。
そして人間はどんな極限状態におかれても、生きよう!とするものなのだということを悟る。
いつの時代もひとの幸不幸は他者と比べることが基準になるのかもしれないが、戦争によって多くの人が不幸のどん底に陥れられることだけは、避けることができるのではないか。これは戦争を経験した国の人々が語り継がなければならないことではないかと思う。
いま、呉の『大和ミュージアム』でシベリア抑留の展示を無料で公開中とのことです。
この小説を読むきっかけになったのは、たしか映画を観たのが発端となったのだが、忘れもしないあの日航機墜落事故というのが描かれていて、しかもあの日航が没落に至るまでのことが克明に描かれていた。
山崎豊子さんの名前はずいぶん前から知ってはいた。古くは、TVドラマであった田宮二郎主演の『白い巨塔』などは有名だけど、そのころはそれほど興味もなく続けて観ることはなかった。
もう十数年も前になるのだろうか、NHKドラマで『大地の子』を放映していた。そのころもわたしは観ていなかったのだが、周りで観ていたひとはその悲惨な運命に同情し、続きの放映を楽しみにしていたのを知っている。
『沈まぬ太陽』を全巻読んで、山崎豊子さんのその取材した行程やらたくさんの資料の量に驚愕した。それだけの取材はなかなか出来ることではない。
それから昨年の秋に『大地の子』を読むことにした。終戦後満州にとり残された日本人孤児の物語である。主人公の言葉に尽くせないほどの過酷な運命を読むほどに引き込まれ、イッキに4巻を読みつくした。
山崎さんの小説の主人公たちが特に不幸な運命を背負っているということでは決してない。あの戦時中当時はこんな主人公のようなハナシはいっぱいあったのだと思う。何万人、何十万人のハナシを聴けば、その数だけの小説が存在するはずだ。
そして今日のような一日雨の日はかっこうの読書の日だ。
朝からコタツにこもっていても外は雨なので罪悪感はない。読書三昧・・・。
読んでいるのは『不毛地帯』だ。シベリアに11年もの長きに抑留されたかつての軍人が、ようやく日本に帰り、商社に就職してまた戦いの中に身を投じるはなしの第1巻。
とにかく山崎豊子さんの小説に感心するのは、どの小説も事実に基づいた内容であり、そのための取材に手を抜いていないことであり、真実の悲惨さが手に取るように伝わってくることだ。
そして人間はどんな極限状態におかれても、生きよう!とするものなのだということを悟る。
いつの時代もひとの幸不幸は他者と比べることが基準になるのかもしれないが、戦争によって多くの人が不幸のどん底に陥れられることだけは、避けることができるのではないか。これは戦争を経験した国の人々が語り継がなければならないことではないかと思う。
いま、呉の『大和ミュージアム』でシベリア抑留の展示を無料で公開中とのことです。

お正月バージョンの水盤。いまだ健在!!

玄関先に作った寄せ植え!
今年も早いものでもう17日だ。毎日お気楽にゆったりまったり過ごしている。
年明けすぐにノド風邪をひいてしまい、やはり仕事を離れた緊張感が解けたために気が抜けたのだと思った。気温が低く乾燥しているから、ノドは気を付けないと一番にやられる。ほかは風邪の症状がないのに、喉の痛みと軽い咳に悩まされて完治まで1週間かかったが、お休み期間なのでコタツと仲良くして過ごした。
ただし毎日じっとしているわけでもなく、たいてい午後は買い物を兼ねてウォーキングを2時間くらいしている。
できるだけ用事を作って遠くまで歩いて出かける。
寄せ植えの材料も、おとといウォーキングで行った隣町のホームセンターで調達してきた。最近は冬の花もいろいろたくさん売っているので、寄せ植えにしたらカワイイのが出来そうで楽しい。
ところでウチの外にあるのだが、夏の花の定番のペチュニアがいまだに咲いている。ほかにもブーゲンビリアとか、ベゴニアだとか、季節感のない花がいまだに咲いているんだけど、コレは秋の訪れが遅かったのが影響しているんだろうか?
あとは楽しみなのが、置き場に困るくらい増えたデンドロビュームの鉢のなかで、ツボミをいっぱい着けたのが2~3鉢ある。これが咲くのが楽しみなのだが、あと2カ月くらいは待たないと咲かないだろう・・。
まだまだ寒い日が続くけど、あたたかい春を待ちながら、蕾がふくらんでいく様を楽しみにしていこう。
きょう三女は寒い日本を逃げ出して『グァムに行ってきま~す!』と出かけて行った。グァムはあったかいんだろうなぁ・・・。

おとといの登山!
広島市 白木山889m
年末年始ず~っとお休み続きで、2日ほど出勤したもののたいした仕事にもならずまた連休。。といった生活で、なまけた身体にカツを入れるため?「白木山に登ろう!」とPサマが言ったので、登って来た。
出かけるのはいつも時間の10時半過ぎ・・。。コンビニでお昼のおにぎりとカップ麺調達して、登山口をめざす。
11:15、白木山駅付近の道路には何台ものクルマが駐車している。みんな白木山に登りに来たクルマなのだろう・・。
わたしたちも1台が出発したあとに駐車して、登山口を目指す。
白木山はもう何度も登ったが、標高差が800m以上ある山なので、それほどカンタンに登れる印象はない。登山口に着いて看板を見ると、登り時間約2時間とある。確かにそれくらいかかるカモなキツイ印象だ。
新調された赤いマフラー巻いたお地蔵さんに導かれながら、どんどん歩いて行く。2合目から3合目の間がずいぶん長いなぁ、と感じながら石がごつごつした登山道を登って行く。途中展望のいい場所もあり、一息入れられる。
ボチボチ下りて来られる方たちも何人かすれ違う。「山頂近くは雪があるから危ないですよ。気を付けて~」と声を掛けていただく。
5合目、視界が開けて見上げれば目指す山頂のアンテナ塔が良く見える。まだ遠いなぁ・・。
そこからは平坦で歩きやすい盛り土の道。道の両側の斜面にはけっこうな雪・・。
わたしの過去の印象では5合目に水場があったと勘違いしていたが、水場があるのは7合目も過ぎたところだった。周りはしっかり雪に閉ざされて、水を飲みたい気分もナッシング。。そこから左にとって入れば、水の源泉がある場所を通っての登山道になるのだが、この雪では危ないのでそこは通らず右側の登山道を行く。
上から下りて来られた外人の方、このまえTVで見た2000回登山を達成した方みたい。ちょっと道を譲っていただいて「コンニチワ、ド~ゾ」「すみませ~ん、ありがとうございます!」
こんなふうにこの山に毎日登られる方は、2000回3000回のツワモノがたくさんおられるのだ。
8合目を過ぎて、雪と石で滑りやすい道を気を付けながら登って行く。これは上りよりも下りが大変だ。。
70代と思われる女性がひとりで下って来られた。横に避けて待っていたら「まぁすみませんね~、待っていただいて、危ないからゆっくりなんですよ・・」「滑りますから気を付けてくださいね~」
出発から1時間40分でようやく山頂到着!なんと素手で雪だるまを作っているひと発見!ほか人影数人・・。多くの方たちはもう下山されたようだ。
わたしたちもおにぎりとカップ麺食べたら、寒くて長居は無用。。約15分で下山開始した。

太田隆司 絆の情景展
先月からやっていたから観に行きたかったのだが、先月は仕事がメイッパイだった。招待券をいただいていたので、どうしても9日までの期間中に行かなくては!ってことで本日行ってみた。
「紙とカッターから生み出されるノスタルジックな空間・・・。」
入場口から入るとまず最初にある作品がこの広電と原爆ドームの作品で、コチラだけは撮影OKとなっている。当然わたしも写メらせていただいた。
そして中に入ってからその作品の緻密さに驚く!と同時に、平面的な紙を切るだけでこれほど立体的なしかも奥行きのある作品に仕上がっているのに驚く。作品のなかの人物はみなその表情で語りかけてくるし、昔の街並みや近所で見かけた婚礼といった喜び、祭りや縁日に心が躍るさまが実に巧みに表現されている。
これだけたくさんの作品があるとは思わなかったけど、それは素晴らしい作品の数々だった。
だけど、これを造っている時の太田さんは、めっちゃ楽しくてたまらないんだろうなぁ・・?
そう思わずにはいられないくらい、作品のなかで時代が生き生きと輝いていた!
今年の映画初めは、『山本五十六』を観てきた。
バルト11はしばらく行かないうちに、タッチパネルでチケットを買うようなカタチになっていた。最近はなんでもタッチパネルだ。人件費削減の一環だろうが、抵抗感なく買える若い世代はいいけど、高齢者の方はちょっととまどわれるかもしれない。
映画館も年明け5日ともなるとそれほど混んでいる様子もなく、時間ギリギリに行ったのだが、案外スンナリ入れた。
『山本五十六』という名前を知らないひとはいないだろう。いや、若い世代のひとのなかには彼の名前を知らないひとたちもいるかもしれないが、わたしたちの世代で知らない日本人はいない。
あの太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃に至るまでのいきさつや、当時の国策や新聞社の情報をあっさり受け入れナンの疑問も持たず踊らされた国民たちが浮き出されている。
この国の民たちは、のど元過ぎれば熱さを忘れてしまう・・・という良くも悪くもありの特徴があるのだろうか?
自分の眼で見て耳で聞いて、心で判断する。国の中枢と国民の一人一人がそれをしていたらば、あれほどの犠牲は出なかったのかもしれない。
自分の意志とは真反対の行動を取らざるを得なかった、海軍の将。軍には絶対服従の掟で仕方のないことであったが、最後まで興亜を信じて散って行ったひとであった。
撮影地は呉や江田島など見慣れた景色も出てくる。豪華出演者の方々も熱演されている。
ぜひ若いかたにも観ていただきたい映画だ。
山本五十六
バルト11はしばらく行かないうちに、タッチパネルでチケットを買うようなカタチになっていた。最近はなんでもタッチパネルだ。人件費削減の一環だろうが、抵抗感なく買える若い世代はいいけど、高齢者の方はちょっととまどわれるかもしれない。
映画館も年明け5日ともなるとそれほど混んでいる様子もなく、時間ギリギリに行ったのだが、案外スンナリ入れた。
『山本五十六』という名前を知らないひとはいないだろう。いや、若い世代のひとのなかには彼の名前を知らないひとたちもいるかもしれないが、わたしたちの世代で知らない日本人はいない。
あの太平洋戦争の発端となった真珠湾攻撃に至るまでのいきさつや、当時の国策や新聞社の情報をあっさり受け入れナンの疑問も持たず踊らされた国民たちが浮き出されている。
この国の民たちは、のど元過ぎれば熱さを忘れてしまう・・・という良くも悪くもありの特徴があるのだろうか?
自分の眼で見て耳で聞いて、心で判断する。国の中枢と国民の一人一人がそれをしていたらば、あれほどの犠牲は出なかったのかもしれない。
自分の意志とは真反対の行動を取らざるを得なかった、海軍の将。軍には絶対服従の掟で仕方のないことであったが、最後まで興亜を信じて散って行ったひとであった。
撮影地は呉や江田島など見慣れた景色も出てくる。豪華出演者の方々も熱演されている。
ぜひ若いかたにも観ていただきたい映画だ。
山本五十六

2012年、始まりました!
今年の初日の出を拝みに初登山をしてきました。
雲が厚くてなかなか日の出を待つ時間が長く、じっとして待つのも寒いので、稜線を移動してやっと拝んだ日の出です。
水平にたなびくグレーの雲は、さながら龍にも見える!なんだか力強い幕開けのような気がしますね。
なにとぞ今年もよろしくお願いします。