ヘルシンキで行われている世界陸上で、広島市五日市出身の
為末 大選手が400m障害で 銅メダルを獲得した。
前々年の01年エドモントン大会に継いで2回目の銅メダルだ。すごいことである。「死ぬ気でがんばる」という言葉は、よく聞かれるが、「死んでもがんばる」努力をした賜物であった。
彼に特別いい条件が備わっているわけではない。高校時代から足は速く地元では、有名な選手だった。しかし、日本の代表ましてや世界で戦うことは、そんなにたやすいものではなかった。
大学時代に障害に転向してからは、あの小さな体で91cmのハードルを、無駄なくしかも倒すことなく越えていく競技は、相当な鍛錬を必要とした。しかも、400mという距離が一番キツイといわれる。
決勝の時、豪雨の中での待ち時間 多くの選手は落ち着かずイライラした時間を過ごしていた。その中で為末選手は、比較的に落ち着いた状況で時間を待っていたらしい。それもやはり、精神修養と経験の持つ力であった。
48秒10 これがこのたびのタイムである。ゴールと同時に体を前に倒し
勢いあまって、転倒した。
前回のメダルは、お母ちゃん(母)にあげた。そのとき次はお父ちゃん(父)に・・・と約束していた。お父さんはそれを待つことなく54才の若さで亡くなった。
いまようやく、その約束が果たされようとしている。いままでにトラック競技で複数のメダルを獲った日本選手はいない。
また偉大な選手が広島から生まれた。おめでとう。
為末 大選手が400m障害で 銅メダルを獲得した。
前々年の01年エドモントン大会に継いで2回目の銅メダルだ。すごいことである。「死ぬ気でがんばる」という言葉は、よく聞かれるが、「死んでもがんばる」努力をした賜物であった。
彼に特別いい条件が備わっているわけではない。高校時代から足は速く地元では、有名な選手だった。しかし、日本の代表ましてや世界で戦うことは、そんなにたやすいものではなかった。
大学時代に障害に転向してからは、あの小さな体で91cmのハードルを、無駄なくしかも倒すことなく越えていく競技は、相当な鍛錬を必要とした。しかも、400mという距離が一番キツイといわれる。
決勝の時、豪雨の中での待ち時間 多くの選手は落ち着かずイライラした時間を過ごしていた。その中で為末選手は、比較的に落ち着いた状況で時間を待っていたらしい。それもやはり、精神修養と経験の持つ力であった。
48秒10 これがこのたびのタイムである。ゴールと同時に体を前に倒し
勢いあまって、転倒した。
前回のメダルは、お母ちゃん(母)にあげた。そのとき次はお父ちゃん(父)に・・・と約束していた。お父さんはそれを待つことなく54才の若さで亡くなった。
いまようやく、その約束が果たされようとしている。いままでにトラック競技で複数のメダルを獲った日本選手はいない。
また偉大な選手が広島から生まれた。おめでとう。
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