いりこは昨日から一人で九州に行った。彼は熊本の天草で生まれている。実の父親のお墓がある。父親に繋がる人がいる。
わたしも、いままでに二度ほど行ったことがある。天草の最南端で、対岸は鹿児島県といった町だ。
前回、墓参に行ったとき貴重な体験をさせてもらった。
主に町は漁業で成り立っている。お盆には、その一年に亡くなられた御霊を小さな舟に乗せ 海に流す。「精霊流し」といえばあの さだまさし の歌が思い出される。
8月15日 地区のお寺に集まった人は故人と最後のお別れをして、御霊を乗せた舟を担ぎ、せまい路地を港へと運ぶ。舟は小さいとはいえ3mくらいはある。きれいに飾りつけをされた舟はあちこちのお寺から、町の漁港に集まってくる。
夜になり、その小舟を乗せた漁船は次々に港から海に出て行く。その船に乗ることができる人は亡くなった方の近親者だけである。
たまたまそれを観に行った私たちは、その漁船に乗せてもらった。
港から出るときはそれは賑やかである。船は競うように花火を打ち上げ
沖へと漕ぎ出して行く。とても、さだまさし の歌のイメージはない。
花火を打ち上げながら 適当な場所まで漕ぎ出した船はエンジンを止め飾りつけをした小舟を海に流し、最後のお別れをする。
そして、ふたたびエンジンをかけ港に戻っていく。
この経験をさせてもらった人は そういないと思う。
船に乗ったのはわたしと二人のこどもたちと三人だけだ。
間の悪いいりこは、トイレに行っていて乗れなかった。あとでものすごく残念がっていたが、これこそあとのまつりだ。
亡くなった御霊をできるだけ派手に賑やかに送ってあげようという港町の行事は、この地方独特のものかもしれないが いい体験をさせて頂いた。感動であった。
いりこは、今回も乗せてもらうことは叶わないと思う。でも港から見る精霊流しもいいもんだよ。しっかり供養してきてください。
わたしも、いままでに二度ほど行ったことがある。天草の最南端で、対岸は鹿児島県といった町だ。
前回、墓参に行ったとき貴重な体験をさせてもらった。
主に町は漁業で成り立っている。お盆には、その一年に亡くなられた御霊を小さな舟に乗せ 海に流す。「精霊流し」といえばあの さだまさし の歌が思い出される。
8月15日 地区のお寺に集まった人は故人と最後のお別れをして、御霊を乗せた舟を担ぎ、せまい路地を港へと運ぶ。舟は小さいとはいえ3mくらいはある。きれいに飾りつけをされた舟はあちこちのお寺から、町の漁港に集まってくる。
夜になり、その小舟を乗せた漁船は次々に港から海に出て行く。その船に乗ることができる人は亡くなった方の近親者だけである。
たまたまそれを観に行った私たちは、その漁船に乗せてもらった。
港から出るときはそれは賑やかである。船は競うように花火を打ち上げ
沖へと漕ぎ出して行く。とても、さだまさし の歌のイメージはない。
花火を打ち上げながら 適当な場所まで漕ぎ出した船はエンジンを止め飾りつけをした小舟を海に流し、最後のお別れをする。
そして、ふたたびエンジンをかけ港に戻っていく。
この経験をさせてもらった人は そういないと思う。
船に乗ったのはわたしと二人のこどもたちと三人だけだ。
間の悪いいりこは、トイレに行っていて乗れなかった。あとでものすごく残念がっていたが、これこそあとのまつりだ。
亡くなった御霊をできるだけ派手に賑やかに送ってあげようという港町の行事は、この地方独特のものかもしれないが いい体験をさせて頂いた。感動であった。
いりこは、今回も乗せてもらうことは叶わないと思う。でも港から見る精霊流しもいいもんだよ。しっかり供養してきてください。
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