過疎の田舎に住んでいる両親は父が81歳、母が77歳になる。現役の農業従事者だ。
母が72歳の秋、原付バイクでクルマと衝突して左足を複雑骨折する重傷をおった。ふだん交通量もしれている県道で、昼すぎに町から帰宅途中だった母の前に、ガソリンスタンドから車道に出ようとしていた高齢者(この地区には高齢者の数が多い)の運転する乗用車と衝突した。
たまたま家にいた父は連絡を受けて取るものもとりあえず病院に駆けつけたらしい。すぐに広島のウチにも父から連絡がきた。とりあえず入院に必要な身の回りのものを買ってきてほしい、ということと、手術の同意が必要なので印鑑を持ってきてほしいと言われた。
それから病院に行き、ケガの様子を聞き、足以外には特にケガがなかったことに安堵した。頭でも打っていたら大変なことだった。しかし、足の骨は左足首の上が粉砕骨折という厳しいものだった。切断という現実を身内はなかなか容認できなかったが、夫の知り合いの整形外科の先生に相談したら「もし自分の母親がこの状況なら、切る・・」と言われた。切断なら3ヶ月の入院ですむ・・しかし手術なら早くても半年はかかるし、歩けるようになったとしても元のようにはとうていならない。。つらい選択だった。
入院して一週間後切断の手術が行われた。父は切断された足を持ち帰り、埋葬届けを出し、二十歳で亡くなったわたしの姉の墓の隣に埋めたらしい。
そのころ私たちは広島で自営業だった。不況で閉店間際の危うい状況だったので仕事を休むわけにもいかない。ということはそれまで炊事も洗濯も何一つ家事らしいことはしたことのない父の一人暮らしが始まった。しかも毎日片道50分かけて病院通いしなくてはならない。洗濯物は持ち帰り、洗って干し、ご飯はタイマーセットで炊けることも覚え、わたしが買い置きしておいたインスタントの味噌汁には手も付けず、自分で畑から採ってきた野菜で味噌汁を作り・・なんとかなるもんである。それには近所のおばさんや母の兄弟や分家のお嫁さんやたくさんの方にお世話になったことも記しておかなければならない。
その間母はとても楽しい(?)入院生活を送っていたようだ。元々楽天的な性格だ。足を切断手術した夜は「涙が流れていけんかった・・」と言ったが、その次の日からは回復に向かう一方である。日を追うごとに傷はよくなっていく。6人部屋だがみなケガでの入院なので入院した日が一番悪い状態なわけで、痛いことがなくなればかなり明るい。いつも笑い声が廊下まで聞こえるほどおもしろい話をしていたようだ。一ヶ月も過ぎてリハビリが始まり、義足の測定やら装着やら、退院までの日、毎日やらなければいけないメニューをこなしながら病室に帰れば大笑いして過ごしたと言った。
年越しまで一週間をきったころ退院していた。退院の日には行かなくてはいけないかなぁ・・と思っていたら「大雪が心配なので早めに退院した」と連絡があった。その日は雪が降っていて、病院から着いてきた作業療法士の女性は途中で雪に驚いてUターンして病院に帰ったらしい(笑)退院までには万全の居住生活に整えておかなければと私たちも部屋作りやら片づけやらに努力したのだった。ちょうど上手い具合にその4年程前に水周りのリフォームをしたばかりそのあとも日本間を洋間に替えたりで、まるでこのことを見越したような工事だった。居間の不要なものも棄て、隣の寝室にする予定の場所にタンスやベッドを備え付け、暮らしやすいように設定した。まあこれはわたしの得意とする分野なので上出来だったと思う。
父はそれまでは命令口調でなんにもしない人だったのに、ケガからは小まめに動いていたのに驚いた。やはり夫婦は助け合っていかなくてはどうにもならない。今度は母が命令していた(笑)
あれから4年、義足にも慣れ歩き方も(ちょっと足が悪いのかな・・?)というくらいで気になるほどではない。畑仕事も家事もいまでは母がやっている。父はというと「お茶!」とエラそうに母に命令している。この3年くらい冬場の雪の量はハンパではない。この時期は毎日毎日家の周りの雪かきをしているのだろう。あれから一度父も同じ病院でちょっとした手術を受けた。もう80も過ぎたので健診でひっかかることもあるそうだが、なんにしても元気でいてくれることが一番ありがたい。
いつまでも・・というわけにはいかない日がいつかくるのだろうけど・・
母が72歳の秋、原付バイクでクルマと衝突して左足を複雑骨折する重傷をおった。ふだん交通量もしれている県道で、昼すぎに町から帰宅途中だった母の前に、ガソリンスタンドから車道に出ようとしていた高齢者(この地区には高齢者の数が多い)の運転する乗用車と衝突した。
たまたま家にいた父は連絡を受けて取るものもとりあえず病院に駆けつけたらしい。すぐに広島のウチにも父から連絡がきた。とりあえず入院に必要な身の回りのものを買ってきてほしい、ということと、手術の同意が必要なので印鑑を持ってきてほしいと言われた。
それから病院に行き、ケガの様子を聞き、足以外には特にケガがなかったことに安堵した。頭でも打っていたら大変なことだった。しかし、足の骨は左足首の上が粉砕骨折という厳しいものだった。切断という現実を身内はなかなか容認できなかったが、夫の知り合いの整形外科の先生に相談したら「もし自分の母親がこの状況なら、切る・・」と言われた。切断なら3ヶ月の入院ですむ・・しかし手術なら早くても半年はかかるし、歩けるようになったとしても元のようにはとうていならない。。つらい選択だった。
入院して一週間後切断の手術が行われた。父は切断された足を持ち帰り、埋葬届けを出し、二十歳で亡くなったわたしの姉の墓の隣に埋めたらしい。
そのころ私たちは広島で自営業だった。不況で閉店間際の危うい状況だったので仕事を休むわけにもいかない。ということはそれまで炊事も洗濯も何一つ家事らしいことはしたことのない父の一人暮らしが始まった。しかも毎日片道50分かけて病院通いしなくてはならない。洗濯物は持ち帰り、洗って干し、ご飯はタイマーセットで炊けることも覚え、わたしが買い置きしておいたインスタントの味噌汁には手も付けず、自分で畑から採ってきた野菜で味噌汁を作り・・なんとかなるもんである。それには近所のおばさんや母の兄弟や分家のお嫁さんやたくさんの方にお世話になったことも記しておかなければならない。
その間母はとても楽しい(?)入院生活を送っていたようだ。元々楽天的な性格だ。足を切断手術した夜は「涙が流れていけんかった・・」と言ったが、その次の日からは回復に向かう一方である。日を追うごとに傷はよくなっていく。6人部屋だがみなケガでの入院なので入院した日が一番悪い状態なわけで、痛いことがなくなればかなり明るい。いつも笑い声が廊下まで聞こえるほどおもしろい話をしていたようだ。一ヶ月も過ぎてリハビリが始まり、義足の測定やら装着やら、退院までの日、毎日やらなければいけないメニューをこなしながら病室に帰れば大笑いして過ごしたと言った。
年越しまで一週間をきったころ退院していた。退院の日には行かなくてはいけないかなぁ・・と思っていたら「大雪が心配なので早めに退院した」と連絡があった。その日は雪が降っていて、病院から着いてきた作業療法士の女性は途中で雪に驚いてUターンして病院に帰ったらしい(笑)退院までには万全の居住生活に整えておかなければと私たちも部屋作りやら片づけやらに努力したのだった。ちょうど上手い具合にその4年程前に水周りのリフォームをしたばかりそのあとも日本間を洋間に替えたりで、まるでこのことを見越したような工事だった。居間の不要なものも棄て、隣の寝室にする予定の場所にタンスやベッドを備え付け、暮らしやすいように設定した。まあこれはわたしの得意とする分野なので上出来だったと思う。
父はそれまでは命令口調でなんにもしない人だったのに、ケガからは小まめに動いていたのに驚いた。やはり夫婦は助け合っていかなくてはどうにもならない。今度は母が命令していた(笑)
あれから4年、義足にも慣れ歩き方も(ちょっと足が悪いのかな・・?)というくらいで気になるほどではない。畑仕事も家事もいまでは母がやっている。父はというと「お茶!」とエラそうに母に命令している。この3年くらい冬場の雪の量はハンパではない。この時期は毎日毎日家の周りの雪かきをしているのだろう。あれから一度父も同じ病院でちょっとした手術を受けた。もう80も過ぎたので健診でひっかかることもあるそうだが、なんにしても元気でいてくれることが一番ありがたい。
いつまでも・・というわけにはいかない日がいつかくるのだろうけど・・
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う~ん、ホント! 両親が居てくれるありがたさ!
無いものネダリ・・・><;
私もこんな母で居ようと思う。
段々、年を重ねて~こんな夫婦になれるかな?^^
なりたいものですねぇ。
丸みが出て、かわいい年寄りにはホド遠いけどね。
無いものネダリ・・・><;
私もこんな母で居ようと思う。
段々、年を重ねて~こんな夫婦になれるかな?^^
なりたいものですねぇ。
丸みが出て、かわいい年寄りにはホド遠いけどね。
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>はなまるさん
最初にShiozyのブログでコメを読んだ頃とは同じ人物と思えないくらいに変わったんじゃないですか・・?
丸くなってますよ~・・名前のとおり
人間二通りありますよね・・
トシと共にガンコでイケズで自分勝手になるタイプと、カワイイ朗らかな愛されるお年寄りになるタイプ。
どっちかといえば、後者になりたいもんですね!
最初にShiozyのブログでコメを読んだ頃とは同じ人物と思えないくらいに変わったんじゃないですか・・?
丸くなってますよ~・・名前のとおり

人間二通りありますよね・・
トシと共にガンコでイケズで自分勝手になるタイプと、カワイイ朗らかな愛されるお年寄りになるタイプ。
どっちかといえば、後者になりたいもんですね!
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