柿ちゃんによると、五月秒らしいが・・。
ウチのパソコンお疲れ病。。バッテリー疲れ?・・ってあるの?
写真のアップとかできなくなった。USBケーブルに繋ごうとすると「キュ~ン・・」情けない音と同時に電源が切れる。そしてなかなか復活しない。
そりゃー、酷使してもう7年?無理もない。。そろそろ買い替え時かな~・・しかし出費がイタイ。わたしも凹む。。
ところで五月病のはなし。
連休明けに出勤したくないとか、せっかく就いた仕事が面白くないとか、あるかもね~・・
そこを乗り越えれば取りたててどうってこともないんだけど、そこでつまづいたらもう立ち直れなくなることもある。
わたしは高校生になって広島の学校に入ったので寮生活になった。あのころは団塊世代あとのまだ生徒の多い時代だったので寮生も多かった。
田舎から持ってきたものは布団袋ひとつと衣装缶ひとつ。机と本立ては広島で買ってもらった。
わたしが入った寮の部屋には、3年生がひとり、2年生がふたり、そしてわたしともうひとり1年生が入ったので8畳に5人の部屋だった。
寝るときなど周りにそれぞれの机をおいているので、足の踏み場もないほど布団を敷きつめなければならない。でもうっかり先輩の布団など踏もうもんなら、怒られた。
同じ広島県とはいえ、わたしのように岡山や鳥取に近いようなところから来たものや、四国に近い島から来たものやいろいろだ。広島弁もビミョーに違う。慣れないうちはとまどうことばかりだった。
緊張の4月が過ぎ、5月の連休に実家に帰った。帰れば母も心配してくれ、やっぱり実家はいいなぁと思う。なんせ8畳が自分だけのものだ。
でもあっというまに時間は過ぎていく。広島に帰る日がきた。西城の駅まで送ってもらい芸備線に乗る。急行列車で2時間半・・今のようにケータイがあるわけでもなく、友達と連絡がとれるわけでもない。
ゴットンゴットン揺れる汽車のなかでだんだん憂鬱になっていく自分がいた。
すっかり凹んで寮に帰れば、皆同じ条件で同じ思いの仲間がいた。また元気が出ていつもの生活に戻れた。自分たちの共通の話題で盛り上がったり、箸が転んでもオカシイという年頃、大笑いして三年生に睨まれた。
寮生活は規律も厳しく決めてあり、当番で料理の手伝いやお風呂も自分たちでやっていた。プライバシーがないというのもかなりストレスにはなったけど短期間とわりきればなんてことはない。今思うとやらないよりやったことのほうが良かったと思う。
いま五月病にかかってしまいそうな人は、そんなことを考える余裕もないくらい仕事や学業に自分を追い込んでみたらどうだろう。さびしいとか人恋しいというなら、同じ体験をしている仲間というのはぜったい必要な存在だ。
わたしはオン、オフの激しい仕事をしているので、スイッチの切り替えのときにいつもちょっとだけメゲる。でも乗り越えられないほどではない。
職場のなかにはその切り替えに着いていけないひとも出てくるので、数ヶ月から一年くらいで辞める人が多い。やっと仕事を覚えて少し慣れたのに、もったいないと思う。辞めたらまた一から出直しではないか。わたしもこれまでそんなに長く勤めた経験はないが、いまの仕事はできるだけ続けていきたいと思っている。
ウチのパソコンお疲れ病。。バッテリー疲れ?・・ってあるの?
写真のアップとかできなくなった。USBケーブルに繋ごうとすると「キュ~ン・・」情けない音と同時に電源が切れる。そしてなかなか復活しない。
そりゃー、酷使してもう7年?無理もない。。そろそろ買い替え時かな~・・しかし出費がイタイ。わたしも凹む。。
ところで五月病のはなし。
連休明けに出勤したくないとか、せっかく就いた仕事が面白くないとか、あるかもね~・・
そこを乗り越えれば取りたててどうってこともないんだけど、そこでつまづいたらもう立ち直れなくなることもある。
わたしは高校生になって広島の学校に入ったので寮生活になった。あのころは団塊世代あとのまだ生徒の多い時代だったので寮生も多かった。
田舎から持ってきたものは布団袋ひとつと衣装缶ひとつ。机と本立ては広島で買ってもらった。
わたしが入った寮の部屋には、3年生がひとり、2年生がふたり、そしてわたしともうひとり1年生が入ったので8畳に5人の部屋だった。
寝るときなど周りにそれぞれの机をおいているので、足の踏み場もないほど布団を敷きつめなければならない。でもうっかり先輩の布団など踏もうもんなら、怒られた。
同じ広島県とはいえ、わたしのように岡山や鳥取に近いようなところから来たものや、四国に近い島から来たものやいろいろだ。広島弁もビミョーに違う。慣れないうちはとまどうことばかりだった。
緊張の4月が過ぎ、5月の連休に実家に帰った。帰れば母も心配してくれ、やっぱり実家はいいなぁと思う。なんせ8畳が自分だけのものだ。
でもあっというまに時間は過ぎていく。広島に帰る日がきた。西城の駅まで送ってもらい芸備線に乗る。急行列車で2時間半・・今のようにケータイがあるわけでもなく、友達と連絡がとれるわけでもない。
ゴットンゴットン揺れる汽車のなかでだんだん憂鬱になっていく自分がいた。
すっかり凹んで寮に帰れば、皆同じ条件で同じ思いの仲間がいた。また元気が出ていつもの生活に戻れた。自分たちの共通の話題で盛り上がったり、箸が転んでもオカシイという年頃、大笑いして三年生に睨まれた。
寮生活は規律も厳しく決めてあり、当番で料理の手伝いやお風呂も自分たちでやっていた。プライバシーがないというのもかなりストレスにはなったけど短期間とわりきればなんてことはない。今思うとやらないよりやったことのほうが良かったと思う。
いま五月病にかかってしまいそうな人は、そんなことを考える余裕もないくらい仕事や学業に自分を追い込んでみたらどうだろう。さびしいとか人恋しいというなら、同じ体験をしている仲間というのはぜったい必要な存在だ。
わたしはオン、オフの激しい仕事をしているので、スイッチの切り替えのときにいつもちょっとだけメゲる。でも乗り越えられないほどではない。
職場のなかにはその切り替えに着いていけないひとも出てくるので、数ヶ月から一年くらいで辞める人が多い。やっと仕事を覚えて少し慣れたのに、もったいないと思う。辞めたらまた一から出直しではないか。わたしもこれまでそんなに長く勤めた経験はないが、いまの仕事はできるだけ続けていきたいと思っている。
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「びょう」と耳にすると「秒」と脳内で変換してしまうのは、アスリートの妻だからでしょうか(笑)。
芸備線でゆられていくうちに深まるブルーな気持ち…。ああ、なんかドラマですぅ。
芸備線でゆられていくうちに深まるブルーな気持ち…。ああ、なんかドラマですぅ。
1562
>柿ちゃん
アスリートの妻は秒ですね~
ウチのPサマ、宮島トライアスロンでボランティアらしい。
どこに出没するのかは知らないけど、やはりランのコースかなぁ?
「柿ちゃんのダンナさん、がんばれー!」とか言ったらどうしょー・・
アスリートの妻は秒ですね~
ウチのPサマ、宮島トライアスロンでボランティアらしい。
どこに出没するのかは知らないけど、やはりランのコースかなぁ?
「柿ちゃんのダンナさん、がんばれー!」とか言ったらどうしょー・・
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