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雑魚の云々

.04

昔はよかった!

ひなまつり・・・

きのうはひなまつりだったが、我が家のお雛様はことしも日の目をみることはなかった。。かわいそうに・・。
昨夜はカタチだけ、ちらし寿司を作って「ひなまつり」の行事とした。

確か前回飾ったのはカレコレ3年前・・?

・・というのも、わたしの売り場ではお正月用品を撤収すると同時にお雛様が並ぶ。1月の中旬だ!それからきのうまで、お雛様を扱っているので、わざわざ自宅に飾らなくてもたくさんのお雛様を眺めて暮らせる(笑)ま、そういう問題でもないんだけどね・・。。

わたしが子供の頃はたしか旧暦の『ひなまつり』を祝っていた気がする。だから今頃ようやく雛人形をひな壇に並べて眺めている頃かなぁ・・

父が2階の物置にあるひな壇を1階の奥の間に下ろして組み立てる。ウチのお雛様は、チャンとした形のものではなく、いろいろな人形が並んだ。代々、子供が生まれるとその子のために親族から人形が贈られていたようで、男の子でも『三次人形』を贈る習慣があったようだ。なので、古くはじいちゃんばあちゃんのものやもちろん父の代のものや、いろいろバラバラの人形が並んだ。

まぁ、普段は蔵の中に入っている人形なので、その時だけは晴れやかに賑やかにひな壇に並ぶ。中には古いものは、鼻をネズミに齧られてしまったのや、髪の毛が抜けて哀れになったのもいたが、それらも一応はひな壇に並んだ。

姉とわたしの人形は、倒すと眠り、起こすと目をパッチリ開ける陶製のフランス人形・・。金色の紙箱に入っていて、その時期だけフタをはずして立てて飾る。一年のほとんどを眠って過ごした人形は、この時ばかり、わたしたちの手によって、毎日目をあけたり閉じたりさせられた。

姉のは帽子も洋服も白いサテン系のものをまとっており、スカートも長くて大人っぽい。わたしのは、帽子も洋服も濃い目のピンク中心でスカートもひざ丈でカワイイ系。やはり比べると姉の人形がうらやましかった。人の持ってるのがいいな~!っていうのはいつの時代も子供心だね(笑)

こうして母といっしょに「これは誰それの人形・・」だとか言いながら、えびす大黒やら翁人形やら色とりどりに並べ終えて、ひな壇は完成した!

当時はお供えする、『雛あられ』『ほとぎ』なども全部手作りだ。花はないのでネコヤナギの枝を小川の土手から切ってきて飾る。忘れていたが、きのうの満点ママで総領町の『ひなまつり』を見て思い出した。そうそう、『ほとぎ』は必ず各家庭で作っていたものだ。

旧暦の『ひなまつり』のころ、ようやく県北の田舎に春が訪れる。

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1947
娘が学校の「総合」の時間で、地元の婦人会の方々と「ほとぎ」を作って帰りました。
って、子どもたちは、見てただけみたいだけど(笑)。
「ほとぎ」、恥ずかしながら、私は名前も知りませんでした。
思わず、「え?ほととぎす?」って言い返して娘の失笑をかいました…。

1948
>柿ちゃん
ほうほう、『ほとぎ』をばあちゃんたちが伝授されましたか・・!

アレはもち米を炒って、水飴や砂糖で固めて作るんですよね~・・近所のおばちゃんはソレに大豆を入れたりして、めちゃ美味しく作ってましたよ・・。

それぞれ家庭の味があっていいんですよね~・・。

わたしは『白酒』じゃなく『甘酒』も楽しみでした。そのころから呑み助が始まってたんだぁv-15

1949
どうも、お雛さんちゅうのは・・・おっさんには、思い出すらない。

 とくにうちは、わしの兄弟もわしの子供共も、ヤローばっかしやから、あんましお雛さんには縁がなかったよ。

 でも、残していかんとあかんよな。
日本の伝統や文化は大事にせんとあかんよな!

1950
>なばさん
男ばっかだと縁がないですよね~。。

うちの売り場、お雛さまを撤去と同時に、五月人形が並びました~(笑)


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じゃこ

  • Author:じゃこ
  • 日本の良さってなんだろう!
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    素材にこだわる・・
    侘び寂びのこころ・・
    そして、癒しを追っかけしています!







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